20年前の夏、70代から90代になっていた旧日本軍兵士たちを訪ねて取材をしていました。自分たちが何をしたのか。戦後半世紀を過ぎて振り返り、考えることは。子や孫にも語ったことがない体験や心境を聞きました。
積年の思いとやるせなさ、寿命が尽きる前に語りたいという複雑な心境が伝わりました。取材出稿が終わった後も数カ月、気持ちが沈んだことを思い返します。記事にできたのは、聞いたことの十分の一以下。事実確認が難しかったのも理由です。
軍に関する公文書はほとんど存在せず、戦後に防衛庁がまとめた「戦史叢書」が手引きでした。なぜないのか。敗戦時に重要書類は焼却処分するよう命令が下ったからです。地方自治体も同様だったことは、多くの証言や記録で明らかです。
戦後70年余を経てなお、官庁が組織ぐるみで公文書を廃棄したり、改ざんしたりしている。弊紙報道で発覚した文書改ざん問題は、財務省の調査でも確認されました。公文書は、意思決定過程や結果を記録するもの。後の検証を可能にし、行政が適正に運営されるのが狙いです。やすやすと書き換えられては、行政への信頼も揺らぎます。
2009年に成立した公文書管理法の立法を主導した福田康夫元首相が今月、東京で会見し、こう話していました。「記録を残すのは、大げさに言えば歴史を積み上げている。その石垣は一つ一つがちゃんとした石じゃないと困る。正確な文書を積んでくださいということです。日本のかたちづくりなんです」。控えめな表現の中に、深い失望と怒りを感じるのは、私だけではないはずです。(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)