死者・行方不明者2万2千人余(関連死含む)。幾多の尊い命を奪い、人々の暮らしを思い出ごと押し流した東日本大震災から10年。メルトダウン(炉心溶融)を起こして大量の放射性物質を放出した東京電力福島第一原発の廃炉作業は大幅に遅れ、故郷を追われたまま復興の道筋など描きようがない人も大勢います。事故は終わっていません。
被災地の多くは年々姿を変え、あれほど深かった爪痕も見えにくくなっています。それでも目を凝らし、耳をすませば、一人ひとりの「心の復興」のペースはさまざま。「もう10年」「まだ10年」「やっと、10年」……。一区切りでも節目でもありません。
群馬県によれば、県内への避難者は、なお675人。最も多かった2011年3月27日の3730人から大幅に減ったものの、届け出ていない方もいるとみられます。帰郷した人もとどまった人も、悲しみや苦しみを抱えながら決断を迫られ続けた10年だったことでしょう
紙面でも10年の歩みをたびたび紹介しました。震災直後から、群馬県内の大勢のみなさんが避難者を手厚く受け入れ、懸命に支え、また被災地へ支援に赴いたことを知り、胸が熱くなりました。
県内でも最大震度4を記録した2月13日深夜の大きな揺れは、風化しかけていた覚悟や心構えを呼び覚ましました。いざという時にどう身を守り、大切な人を守り、そのうえで何ができるか――。10年前、余震の中で絶えず考え抜いたことを10年先、20年先も忘れまい。決意を新たにしました。
(朝日新聞社前橋総局長 本田 直人)