人間国宝 講談師 神田 松鯉 さん

「あたし自身も講談に出てくる悪人や善人のように『男の美学』を
追求し、男として美しく生きていきたいもんですな」

 

今、講談が空前のブーム。その立役者の一人が神田松鯉師匠だ。昨秋、講談師としては一龍斎貞水さん以来2人目の人間国宝(国重要無形文化財保持者)になった。芝居で鍛えた重厚な語り口に定評があり、古典から新作まで約500という圧倒的なネタ数を誇る業界のパイオニアでありトップランナーだ。長編連続物の復活や継承に尽力する一方、講談界の風雲児として今や飛ぶ鳥を落とす勢いの神田松之丞改め六代目神田伯山ら弟子たちの後進育成にも力を入れる。芸歴50周年、弟子の真打昇進と今年2020年、大きな節目を迎えた重鎮に講談や芸、弟子への思いなどを聞いた。

生まれ故郷・伊勢崎での二人会に登場、熱のこもった語り口で観客を魅了した松鯉師匠。「地元の公演は良いもんですな。あったかくてね(笑)」=昨年末の金子屋落語会で

【最初は驚き、次にうれしさ、今は緊張】

― 人間国宝になられた時のお気持ちは

一報を受けた時、最初は驚き、次に嬉しさがやってきて今は緊張しています。「これから、悪いことは出来ない」っていうね(笑)。身の引き締まる思い。ただ、人間国宝になったからといって、急に芸が良くなる訳じゃありません。あたしは「誠実」って言葉が好きでね。血液型もA型ですから、以前にも増して誠実に講談をやっていくだけです。

― 昨年はご自身が人間国宝に、今月はお弟子さんが六代目神田伯山を襲名しました

今まで、のんびりマイペースにやってきたんだけど一転、身辺が慌ただしくなっちゃってね。ありがたいことですが、身体がついていかなくて困っています(苦笑)。今、弟子の真打披露興行の真っ最中。一体どうなっちゃうのか、あたし自身も分かりません。でも、何とか生き延びたいと思っていますよ。

【ライフワークは長編連続物】

― 講談師になったきっかけは

役者を目指し、高校卒業後に上京し、10年俳優をやっていました。その時、日本を代表するバイブレーヤーの桑山正一さんに「おめえの朗読は講談だ」って耳にタコが出来るくらい言われたんです。講談なんて興味なかったけど、じゃあ聞いてみようと。そしたら面白かったんですよ。山陽師匠に弟子入りをお願いしたのが27歳の時。一生の仕事と決めて入りました。もう後がない、まさに崖っぷちでしたから入門後、必死で演目を覚えましたね。当時は四六時中、講談のことしか頭になかったです。まあ、お酒はしっかり飲んでいましたけど(笑)。

― 持ちネタは500以上、今も年間約250高座を務めています

言ってみれば、芸人にとって高座は生きがいそのものですから。多い人だと年間500~600高座やりますが、私の歳だとこのくらいが精いっぱい(笑)。ただ、今でも舞台に立つ前は緊張しますね。それをお客さんに見せちゃいけませんけど、緊張感のない高座は駄目ですよ。世話物、怪談物、連続物など古典から新作まで色んなネタがありますが、本気でやると身体に入ってくるんですね。とにかく稽古稽古、その繰り返しです。

― 「ビジネス講談」という新ジャンルを確立する一方、10席以上ある長編を全て通しで読んでいく「連続講談」に力を入れていますね

あたしがこの世界に入った時、講談は元気がなくてね。連日通うお客さんも少なくなっていたから、一席で完結する「端物(はもの)」が全盛でした。でも、講談の命は「連続物」。昔はみんな、1~2カ月もかけて一つの話を読み続けていたんですよ。それを大事にしなきゃ本来の講釈じゃないって、山陽師匠に無理言って教えてもらいました。やな顔されましたけどね(苦笑)。連続物を見直してもらうには、もっと講談が一般に膾炙されないといけないが、それにはどうすれば良いか。考えて始めたのが「ビジネス講談」でした。一時凄いブームになってね、全国の企業を回りましたよ。そのお陰で、「連続物」も評価されるようになったんですよ。長編連続物は、今やあたしのライフワーク。弟子の伯山も、同様に連続物を大切に思っていてくれていて、積極的に取り組んでくれています。うれしいですね。

― 今年2月に真打になられた伯山を始め、多くのお弟子さんがいらっしゃいますが指導上で心掛けていることは

真面目な子、マイペースな子、貪欲な子、弟子にも色んなタイプがいます。一番大切なのは、それぞれの個性を見つけて伸ばしてあげることですな。教育、すなわちエデュケーションとは内にあるものを引き出すという意味なんですね。世の趨勢も、欠点を指摘するのではなく良いところを活かしていくようになってきていますから、そこを大きな指針にしています。

【芸の個性になる「素を磨け」】

― 今年で芸歴50年を迎えますが、今の心境をお聞かせ下さい

講談に出てくる男たちは、悪人でも善人でも必ず「男の美学」を持っています。それは何かというと、弱いもの小さいもの恵まれないもの可哀そうなものを憐れむ「惻隠(そくいん)の情」や、「弱きを助け強きをくじく」すなわち長いものに巻かれないという心意気などですね。矜持にも繋がりますが、講談にはそんな「男の美学」を描いたものが多いんですよ。長く講談師をやっていますが、あたし自身も講談に出てくる悪人や善人のように「男の美学」を追求し、男として美しく生きていきたいもんですな。

― 座右の銘は何でしょう

「芸は人なり」でしょうか。講談師に限らず、噺家でも浪曲師でも話芸にはその人の人間性が如実に出ます。その人が何を思っているかは、言わなくても分かっちゃう。好きなセリフには熱が入るし、嫌いなところは飛ばしたり。同じネタでも、噺家によって全然違うから面白いんですよ。自分にも弟子にも、「素を磨け」と言い聞かせていますね。そこが、芸の個性になりますから。

― 今年、挑戦したいことは

令和2年は子年。ですから年明け早々、鼠小僧が登場する講談「汐留の蜆(しじみ)売り」をネタおろししました。この歳になるとネタおろしはきついけれど、約束しちゃったからしょうがない(苦笑)。せっかく覚えたんだから今年、二人会か独演会か分かりませんが、どこかで「汐留の蜆売り」をやりたいと思っています。地元でやる可能性も十分ありますよ。

― 群馬の皆さんにメッセージを

昨年末は伊勢崎で三遊亭圓馬さんと二人会をやり、前橋では弟子の松之丞(現・神田伯山)と親子会をやらせて頂きました。あたしは伊勢崎生まれの前橋育ちですから地元での公演は良いもんですな、ホントあったかい。今年も、郷里で圓馬さんとの二人会を予定していますから是非、足をお運び頂きたい。ひとつ、これからも講談をよろしくお願いします。

(文・写真 中島美江子)

■プロフィール【かんだ・しょうり】

1942年伊勢崎生まれ。前橋商業卒業後に上京。演劇や歌舞伎俳優を経て、70年に二代目神田山陽に入門。73年に二つ目、77年に真打ち昇進と異例のスピード出世を果たす。92年に三代目神田松鯉を襲名。多様な演目で機微をくみ取る優れた話芸に定評がある。古典に力を入れる一方、織田信長や徳川家康、大石内蔵助ら歴史上の人物をネタにしたビジネス講談を生み出した。長編連続物の復活や「徳川天一坊」「幡随院長兵衛」などの連続講談の実演記録作成にも貢献。人気の若手講談師らの育成にも力を入れる。昨秋、国重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。東京在住

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