県立女子大学名誉教授 北川先生に聞く
新元号「令和」の出典で話題 県内のおすすめ石碑6選
新元号「令和」の誕生で、奈良時代後半に成立したわが国最古の歌集「万葉集」が今、再び脚光を浴びている。全20巻、7~8世紀にかけての約130年間に詠まれた和歌約4500首を収録した同書には、群馬の地名を読み込んだ東歌や防人の歌があり、ゆかりの地には歌を刻んだ石碑が多く建てられている。今号では、万葉研究で知られる群馬県立女子大学の北川和秀名誉教授に、県内のおすすめ万葉歌碑スポットや万葉歌の魅力などについて聞いた。(上原道子)
※写真はすべて北川氏提供
東歌 古代東国(東海道、東山道)各地で詠まれた歌。「万葉集」 巻十四に計230首収められ、そのうち「多胡」や「碓氷」など上野国(群馬)の地名が登場する東歌は20首以上ある。
防人歌 防人は、壱岐・対馬と九州北部の防衛のために派遣された兵士。東国から赴いた人も多く、万葉集には上野国の防人歌が4首選ばれている。
※各和歌に添えた数字は『国歌大観』(松下大三郎・渡辺文雄編、明治34年~36年刊)の歌番号。現在、様々な万葉集の注釈書、入門書、専門書などが刊行されているが、どの本でも共通の番号となっている。
伊香保 (渋川)
「上毛野(かみつけの)伊香保の嶺(ね)ろに降(ふ)ろ雪(よき)の
行き過ぎかてぬ妹(いも)が家のあたり」3423
《口語訳》上野国の伊香保の峰に降る「雪」ではありませんが、たやすく「行き」過ぎることができない、あなたの家のあたりよ。
おススメポイント趣き深い9基の自然石
「万葉集東歌には、『上毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪の行き過ぎてかぬ妹が家のあたり』など『伊香保』という地名を含む歌が全部で9首あります。旧伊香保町(現在は渋川市の一部)では、1982(昭和57)年に全ての歌碑を町内9カ所に建立しました。様々な形の自然石を使用しており、それぞれに趣き深い。揮毫はすべて伊勢崎市出身の書家、佐々木心華氏によるもので、傍らに解説板が設置されています」
※上記の9基は、伊香保神社やハワイ王国公使館別邸、ロープウェイ見晴駅、湯元飲泉所、文学の小道道など温泉街で見られるほか、長峰公園や伊香保森林公園管理棟などに点在している。また、水沢観音には、これとは別に2基の万葉歌碑が建っている。
石碑の路 (高崎)
「吾(あ)が恋は現在(まさか)もかなし草枕
多胡の入野(いりの)の将来(おく)もかなしも」3403
《口語訳》私の恋は今も切ない。そして(多胡の入野の奥ではないが)将来(おく)も切ないことです。
おススメポイント山名の多数の歌碑群
「『石碑の路(いしぶみのみち)』というのは、山名八幡宮の脇から山上碑を経て金井沢碑に至る道で、その道の傍らに万葉歌碑が30数基も建てられています。建てたのは会社社長の信澤克己氏で、故郷である山名丘陵の大切さを伝えるため、昭和50年代に私財を投じてこれらの石碑を建立したそうです。写真(右)はそのうちの一つで、山上碑への石段下に設置されているもの。現在、これらの石碑を観光資源として生かそうと高崎商科大学では、石碑の路のハイキングマップを作るなど努力を重ねています」
※石碑の路には、現在、既設の碑が29基建っているが、根小屋城址周辺の石碑8基は万葉歌碑ではない。
高崎商科大が作成したガイドマップは「山上碑編」「金井沢碑編」の2種類。QRコードをスマホで読み取ると、各碑の万葉歌に沿った音楽や、英訳音声を聴くことができる。同大で配布しているほか、同大HPからのダウンロードも可能
佐野の舟橋 (高崎)
「上毛野佐野の舟橋(ふなはし)取り放し
親は離(さ)くれど吾(わ)は離(さか)るがへ」3420
《口語訳》上野国の佐野の舟橋をばらばらにしてしまうように)親は二人を引き離すけれど、私はあなたと離れたりしない。
おススメポイント県内最古級
「佐野の船橋歌碑は、県内の万葉歌碑としては最古級です。江戸後期の文政十年(1827)、延養寺(高崎市あら町に現存)の住職良翁(1769~1837)により記されたもので、上信電鉄の佐野のわたし駅から徒歩数分の距離にあり比較的行きやすいですよ」
※「舟橋」とは水面に舟を並べて橋として用いたもの。増水時には、舟同士を固定している綱を解いてバラバラにし、破損を防いだ。現在は木橋がかけられている=写真右は2011年撮影。
佐野のわたし駅は、近くを流れる烏川にかつて渡し船があったことに由来する。駅名のほか入場門や駅名標のデザインなどを、県内の小中学生を対象とした公募により決定、2014年に開業した
金山 (太田)
「新田山嶺(ね)は着かなな吾(わ)によそり
はしなる子らしあやに愛(かな)しも」3408
《口語訳》新田山がどこの山並みとも連ならずに孤立しているように、私と親しいという噂を立てられて、端の方にぽつんといるあの娘が、なんとも愛しくてなりません。
「しらとほふ小新田山の守(も)る山の
末(うら)枯れせなな常葉(とこは)にもがも」3436
《口語訳》新田山の、大切に守られている山の木々は、葉が枯れたりせずに、いつまでも青々と茂ってほしいものです。
おススメポイント新田山の歌二首を刻む
「金山の南麓にある万葉歌碑で、新田山を詠んだ2首の歌が刻まれています。金龍寺の前の舗装道路を少し登った右側にあるが道路に面してはいないので、やや見つけにくいかもしれません。1つの石碑に2首が刻まれているのは、珍しいです」
※一首目の新田山と二首目の小新田山というのは同じ山で、金山のことであるとされる。
丹生 (富岡)
「真金(まかね)吹く丹生(にふ)の真朱(まそほ)の色に出て
言はなくのみそ吾(あ)が恋ふらくは」3560
《口語訳》鉄を製錬する丹生の赤土のように、はっきりと表に出しては言わないだけです。私の恋する気持ちは。
おススメポイント昭和天皇群馬行幸記念
「富岡の丹生神社境内に1936(昭和11)年に建てられました。この碑の歌は万葉集では国名不明としています。確かに丹生郡、丹生郷、丹生神社など全国各地に「丹生」がありますが、東歌の範囲にある『丹生』は上野国甘楽郡丹生郷しかないので、富岡市の可能性は高いと考えられます」
※1934(昭和9)年11月、昭和天皇が北関東で行われた陸軍大演習の際に富岡へ行幸した記念として建立された。
沢渡 (中之条)
「左和多里(さわたり)の手児(てご)にい行き逢ひ
赤駒が足掻(あが)きを速み言問はず来ぬ」3540
《口語訳》左和多里の乙女に出逢ったけれど、私が乗る赤毛の馬の歩みが速いので、言葉を交わさないまま来てしまいました。
おススメポイント江戸時代の古碑
「吾妻郡中之条町の沢渡神社の石段脇にあります。文政11(1828)年に成る八富田永世の『上毛温泉廻』に、この歌碑とおぼしき石碑に関する記述があるので、もしもそうであるなら、この歌碑は文政十年建碑の佐野の舟橋の碑よりも古い可能性があります」
※歌に登場する「さわたり」の地名が沢渡温泉を指すとは断定できない、と近くの解説版にも書かれている。
北川先生、万葉集って面白いですか?
親しみやすい人柄とわかりやすい解説が人気で、今や各地の講演会でひっぱりだこの、群馬県立女子大・北川和秀名誉教授に、万葉集の魅力やお気に入りの歌、これから読んでみようかなという初心者にお勧めの書籍などを教えていただきました。
そもそも、「万葉集」って何ですか
― いつ、何のために作られた歌集ですか
奈良時代後半に大伴家持がまとめたと考えられていますが、最終的に彼が完成させたかどうかは不明です。
書名の由来は一説に、「葉」を時代・年月と理解して、「万代の後までも読み継がれるように」との願いを込めたと言われています。良い歌を後世に伝えたい、という思いから編纂された歌集といえるでしょう。
― 魅力と楽しみ方は
内容が、宮廷の公的な儀礼の歌、恋の歌、人の死を悼む歌、四季の歌、旅の歌、伝説をうたった歌、防人の歌など多彩な点が魅力です。その中には心に響く歌も多い。加えて歌数も4500首と多いので、色々な年代の人が、また、貴族から農民まで実に様々な立場の人が歌を詠んでいます。それらを通して、当時の人々の風俗習慣や暮らしぶり、ものの考え方などを知ることができます。また、歴史上の人物の歌も載っているので、その人物の意外な側面を垣間見ることができるのも面白い。
純粋に歌を味わってみてください。心に残る歌がいくつかあれば、それが何かの時に自分を励ましてくれたり、慰めてくれたりするかもしれません。
新元号「令和」の印象は
― 「令和」の典拠となった部分について教えて
「万葉集 巻第五」“梅花歌卅二首并序(ばいかのうたさんじゅうにしゅじょをあわせたり)”の序文の中の“時于、初春令月 気淑風和”(時に、初春の令月にして、気淑く風和らぐ=折しも、初春の良い月で、大気は澄んで風は穏やかだ)をもとに「令和」という元号が作られました。ちなみに、「梅花の歌」は、天平2(730)年の正月13日(太陽暦2月8日頃)に、九州・大宰府の長官、大伴旅人宅で開かれた梅花の宴で詠まれた32首の和歌を記録したもので、序文には開催の目的などが書かれています。
― 出典が万葉集と知った時の心境は
国書を出典にする可能性はあるとのことでしたが、まさか万葉集からとは思いませんでした。第一印象は、「令」の字が今まで元号には全く使われていない文字であることから、やや元号っぽくない印象を受けましたが、「令和」は 「よい・うるわしい」と「やわらぐ・おだやか」とを組み合わせたものであり、 好ましい字義の良い元号と思えるようになりました。「レイワ」という音の響きも良いと思います。
― 万葉集の中で先生の一番好きな歌は
「馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は履むとも吾は二人行かむ」(3317)です。これは女性が詠んだ歌を受けて、男性が返した歌です。互いを思いやる夫婦愛が感じられて心にしみます。
【解釈】女の歌「真澄鏡持てれどわれは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば」(3316)=母のかたみの鏡を私は持っているけれど持っていても何の甲斐もない。あなたが歩いて苦労して仕事にゆくのを見ているのはつらいのでどうぞ、この鏡を馬と替えてください。/返し(3317)=私が、お前の母の形見の品と馬とを替えてしまったら、私は楽かもしれないがお前一人が徒歩で行かねばならない。それより、たとえ石ころだらけの道だとしても私はお前と二人で歩いていく方がいい。
― 群馬の「東歌」の中で気に入っている歌は
「伊香保嶺(ね)に雷(かみ)な鳴りそね吾(わ)が上(へ)には故(ゆゑ)はなけども子らによりてそ」(3421)です。伊香保の峰に雷よ鳴ってくれますな。私にとっては別にどうということはないのですが、あの娘が怖がるものでね」と口語訳します。
そのままに理解すれば、彼女思いの男の歌ですが、ことさらに「私にとってはどうということはない」と断っているあたりがアヤシイです。この男は本当は自分が怖いと素直に言えず、彼女を出しにして「彼女が怖がるから」と言っていると取ればなかなかおもしろい歌かと思います。
初心者にオススメの 万葉集にまつわる書籍
■上野誠「はじめて楽しむ万葉集」 (角川ソフィア文庫、本体705円)
山上憶良、額田王、大伴家持などの定番歌からあまり知られていない歌まで、84首をわかりやすく解説。万葉びとの恋心や親子の情愛など、瑞々しい情感を湛えた和歌の世界を旅し、万葉集の新しい魅力に触れられる
■中西進「万葉の秀歌」(ちくま学芸文庫、同1600円)珠玉の252首をセレクト。万葉研究の第一人者があらゆる地域や階層の万葉びとの心に寄り添い、歌に隠されたドラマや四季折々の風景に想いを馳せながら丁寧に深く読み解く
■犬養孝「万葉の旅〔改定新版〕上・中・下」(平凡社ライブラリー、各同1200円)
全国のゆかりの地を踏破した筆者の旅の記録。上巻は大和編。中巻は近畿・東海・東国。下巻は山陽・四国・九州・山陰・北陸
■佐竹昭宏、山田英雄ほか「万葉集(一)~(五)」(岩波文庫、各同1160円)全歌に現代語訳・注釈が付いている。全5巻。特に(二)=写真=は「令和」特別限定帯に。「令和」の典拠となった序文が収められている。大宰府における大伴旅人、山上憶良らの唐(から)ごころあふれる歌文を収める巻五から、春夏秋冬の順に歌を配列する巻八までの約900首を掲載
このほか、井上さやか監修「マンガで楽しむ古典 万葉集」(ナツメ社、同1300円)は、古典が苦手という人も読みやすいコミック版。全4500首余りある歌の中から3つのテーマにわけ、選りすぐりの名歌を150首以上収録。各歌が歌われた背景などをストーリー仕立てで親しみやすく描く
万葉の学び深める県女大特別講座に100人
北川先生が万葉集の魅力を紹介する特別公開講座が5月28日、県立女子大(玉村町)で開かれた。新元号の典拠となった「梅花の歌三十二首」の序文について、時代背景や作られた経緯をはじめ、影響を受けた漢籍、「万葉集」と梅との関係などに触れながら詳しく解説。また、4500首から抜粋した和歌をわかりやすく解釈した。学生をはじめ県内外から集まった参加者約100人は、熱心にメモを取ったり、先生のユニークな話ぶりに笑ったりしながら、万葉についての学びを深めた。
北川先生のNEXT LECTURE▶▶▶▶
●新元号記念特別講座 「令和」と『万葉集』
6月28日(金)午後1時半~同3時、NHK文化センター前橋教室で。受講料税込3715円。同教室(027-221-1211)
●新元号「令和」記念セミナー 『万葉集』をよむ~「令和」を入口に~
7月13日(土)午後1時半~同3時、ぐんま男女共同参画センターで。受講無料。同センター(027-224-2211)