「世界で最も過酷といわれるラリー出場は私の人生の中で最大の挑戦。このチャレンジが、前橋の活性化に少しでも貢献できればうれしい」
「前橋商店街から世界へ!」 壮大なプロジェクト名を掲げ、来年1~2月にモナコで開かれるラリーモンテカルロ・ヒストリックに初参戦する。1911年に始まり、現在、行われている国際モータースポーツイベントの中でも最も長い歴史を持つモンテカルロ。国内からは企業や大学の参戦が一般的で、個人での出場は珍しい。30代で建設業から観光業へ参入。1994年にオープンした「伊香保おもちゃと人形自動車博物館」は、「プロが選ぶ人気観光施設100選」(旅行新聞社主催)に19年連続入賞するなど絶好調だ。昨年6月には、生まれ育った前橋の街中に博物館別館を開設するなど絶えず新しいことに挑戦し続けている。1カ月後にモンテカルロを控えた横田館長に参戦への経緯や意気込み、館運営への思いなどを聞いた。
【「チーム横田」で初ラリー完走へ】
Qラリー開催が約1カ月後に迫りましたが、今の気持ちをお聞かせ下さい
「参加することに意義あり」の精神で出場しますので、不安や緊張は全く感じていません。ヒストリックは往年のラリーカーで、約4000キロの雪の山道を昼夜問わず5~7日間かけて全速力で踏破するという、世界でも1、2位を争う危険なラリーです。20代の頃、そのようなラリーに出場したこともありましたが、既に還暦を過ぎており上位に食い込める技術や経験は100%ありません(苦笑)。順位やタイムは気にせず、純粋に楽しみたいと思っています。
Q日産「フェアレディ240Z」で参戦しますね
私が1971年に免許を取得した翌72年、日産「フェアレディ240Z」がモンテカルロで総合3位に入賞しました。その時の衝撃は今でも忘れられません。以来、「いつか自分も走ってみたい」という夢を抱くようになりました。そして、将来参戦できるなら、かつて我々を熱狂させたフェアレディ240Z以外、考えられませんでした。今年1月から11月末までの約10カ月、日産自動車さんの協力を得て、当時と同じ年式のフェアレディ240Zをラリー仕様に仕上げました。快適な乗り心地に加え、外観にステッカー類を貼るなど、入賞時と変わらぬ車体を忠実に再現することができました。
Qどのような体制で挑むのでしょう
同乗ナビゲーターを始め、メカニックや自動車ライター、カメラマンなど総勢約10人がサポートしてくれます。「チーム横田」は日本人もいれば現地の外国人スタッフもいる。メンバー一丸となって「初ラリー完走」を目指したい。
【生まれ育った故郷に恩返ししたい】
Qそもそもラリーに出場しようと思われたのはなぜですか
参戦を決めたのは今年1月です。仕事でヨーロッパを訪れた時、ちょうどモンテカルロが開催されていて、「よし、俺も出よう!」と俄然、やる気になりました。実は、昨年6月に前橋中心街にオープンした別館の目玉になるような、新たな展示品をずっと探していたのです。知名度や話題性が高く、世界中の自動車ファンが憧れるラリーを自分が走り、その車を前橋の博物館に飾れば単純に面白いんじゃないか、と思いつきました。
Qプロジェクト名の「前橋商店街から世界へ」には、そんな思いが込められているのですね
私の生まれは高崎ですが、5歳で前橋に引っ越しました。少年時代、中心商店街へ行くのが何よりの楽しみでしたね。当時の活気は本当に凄かった。しかし、残念ながら今その面影は全くありません。「自分を育ててくれた故郷に何か恩返しがしたい」 そんな思いで一昨年から街中でクラシックカーフェスティバルを企画したり博物館別館を開設するなど前橋を盛り上げる活動を独自に展開してきました。ラリー参戦もその一貫で、前橋からスタートしゴール後はラリー車を別館に展示するつもりです。今夏、前橋市内で開かれた壮行会には発起人の山本龍市長を始め、友人など約170人が駆けつけてくれました。多くの人の温かい声援を胸に、全力でラリーに臨みたいですね。
【「日本一の感動」を与えられる館に】
Qラリー参戦だけでなく、建設業から異業種である観光業へ参入するなど常に新しいことにチャレンジされていますね
お金のためだけでなく、自分が夢中になれる大好きなものを仕事にしたいと考え、39歳で建設会社を畳み博物館経営に乗り出しました。当時、家族や知り合い、全員に反対されました(苦笑)。でも、お客様に「日本一喜んでもらえる博物館を作れば絶対に潰れない」という自信がありましたし、その信念は今も誰に何と言われようと揺るぎません。
当館は今年、開館23年を迎えましたが、「プロが選ぶ人気観光施設100選」(旅行新聞社主催)に19年連続入賞するなど順調に館運営ができています。そして、モンテカルロにも普通、個人で出場するなど多くの自動車愛好家は想像もしないでしょう。大手自動車メーカーと契約プロドライバーが参戦するというパターンが一般的ですから。でも、私は逆。「誰もやっていないなら自分が出よう!」という発想。あまのじゃくなのでしょう(笑)。とはいえ、出たいという思いは随分前から持ち続けていましたし、準備にもかなりの年月を費やしました。今までの蓄積があったからこそ夢を形にできたのだと思います。「常識を超えていくこと」は更なる活力に繋がっていきますね。
Qその原動力は何でしょう
「好き」という気持ちでしょうか。館運営にコンサルタントを入れる経営者もいますが、私は何をするにも自分が「楽しそう、面白そう」と思うもの、物まねではなく「今までにないもの」を仕掛けていきたい気持ちが強い。「好き」を基準にやっていますから、色んなアイデアが次々と浮かんでくる。お客様の喜ぶ顔が一番の励みですね。
Q仕事をする上でのモットーは
「好き」という気持ちを踏まえた上で、「お客様目線」を大切に「自分がお客だったらどうして欲しいか」を絶えず考えています。実は1983年に赤城山中腹に「赤城二輪車博物館」をオープンさせましたが、4年で閉館を余儀なくされました。そこには自分の「好き」しかなかったからです。以来、マニアックすぎず、広く共感を得られるものを展示するようにしています。あと、当館は7割がリピーターなので常に新しい展示を見せたいと思っています。観光地にありがちな、入館料ばかり高くて中身が薄いものにはしたくありません。いつ来ても、お客様に新しい発見や刺激、そして「日本一の感動」を与えられるような博物館にしたいですね。
Q群馬の皆さんにメッセージをお願いします
参戦を表明した後、多くの方から激励のお言葉を頂きました。今月で64歳になりましたが、世界で最も過酷といわれるラリー参戦は私の人生の中でも最大の挑戦。このチャレンジを見て、一人でも多くの人が「私も新しいことをやってみよう!」と思ってくれればうれしいし、前橋の活性化に少しでも貢献できたら良いですね。
文・中島美江子/写真・谷桂