関西で勤めた20代半ばから5年ほど、お茶を習いました。京都で行きつけだったバーのマスターが先生で、生徒の多くは店で顔なじみ。流派とは一線を画す。茶道は堅苦しいと敬遠していた私も、抵抗なく参加できました。
週1回の稽古のはずが月1回になることも多く、身に付いたとは言えません。ただ、教室は好きでした。沢水を引いた山中の庵。空調はなく、季節のうつろいを感じました。四季や暦にあわせて替わるお点前や道具。畳に擦れる衣、沸く釜の湯、ふくさをさばく音。静寂を楽しみました。
茶道では部屋の入り方からお点前まで、細かく決まりがあります。覚えたつもりでも、仕事が不調だったり、悩みがあったりする日は、つまずく。「お点前はいつも同じだから、向き合う自分の心が表れる」。先生の言葉に合点しました。
そんな感覚を、森下典子さんの著作「日日是好日」(新潮文庫)を読み、思い出しました。いても立ってもいられず翌日、同書が原作の映画を見に高崎へ。「まず形から」「頭で考えないで、自分の手を信じなさい」。9月に亡くなった樹木希林さん演じるお茶の先生の言葉が、私の先生と重なります。
人生も一席も、一期一会。何をなすかでなく、いまを精いっぱい感じて生きることで十分――。原作や映画から伝わるメッセージです。「靴下でもシャツでも、最後は掃除道具として最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるんじゃないかしら」。生前語った樹木さんの言葉とも通じ合いました。
(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)