元女子ソフトボール日本代表監督 NPOソフトボール・ドリーム理事長 宇津木 妙子 さん

「高崎に来てから風邪を引いたことがありません。毎朝2時間、欠かさず運動していますから」と笑う宇津木さん=高崎市内

「生きる上で多くのことを教えてくれるソフトボールは、まさに人生そのもの。だから、面白いんです」

今夏、元女子ソフトボール日本代表監督の宇津木妙子さんと現・代表監督の宇津木麗華さんの名前を冠したソフト専用球場「宇津木スタジアム」が高崎に誕生した。東京五輪まであと1年。2000年シドニーと04年アテネで女子ソフト日本代表を率い、2つのメダルをもたらした名将は、現在も国内外で指導や普及活動に全力を注ぐ。日本ソフトボール界をけん引し続けるレジェンドに、宇津木スタジアムや日本女子ソフトへの思い、これからの夢などを聞いた。

【宇津木スタジアムをソフトの聖地に】

Q球場の愛称が宇津木スタジアムになりました

まさか、自分たちの名前が入るとは夢にも思いませんでした。とても名誉なことですが責任も重大です。ここまで大規模なソフト専用球場は全国でも初めてでしょう。群馬でソフトを支え育て発展させてきた多くの方の努力の賜物です。関係者の一人として、地域や球場に関わる全ての人にソフトを通して恩返しをしていきたいですね。

Q球場をどんな場所にしていきたいですか

高崎市が国際試合などを積極的に組んでくださるので、日本ソフトボール協会の一員として一緒に盛り上げ、世界一流のプレーに触れられる場所にしていきたい。今月30日から9月1日は、スタジアムで「ジャパンカップ国際女子ソフトボール大会」が行われます。今大会は、東京五輪前にライバルの米国と対戦する最後の大会なので、多くの人に足を運んでもらえたらうれしいですね。また、協会では柔らかい道具を使って遊ぶ「アソボール」という普及活動を各地で行っていますが、専用球場でもやっていきたいと考えています。子どもたちにソフトの楽しさ、仲間と協力する大切さなどを伝えていきたい。もう一つは、麗華監督と学生たちの全国大会「宇津木杯」開催を構想しています。このスタジアムを、「ソフトの聖地」にしていけたらと思っています。

【ソフトの魅力を世界中に発信】

Q国内外で指導、普及活動を行っています

北京五輪後に現場監督を引退してからは、指導や普及活動の舞台を世界、そして草の根に移しました。五輪復活には国や年齢に限らず誰もが楽しめる素晴らしい競技であること、協調性や思いやりを育むという教育的効果があることを広めていく必要があったからです。10年に及ぶ活動は平坦ではありませんでしたが、地道な種まきが各地で実を結び始めています。東京五輪後も色んなことを仕掛け、世界中にソフトの魅力を発信していきたいですね。

Q企業や大学チームで、選手や監督を指導する立場にあります

選手とは、一人ひとり向き合って話をすることが大切。現役時代、ヘタな選手だったからレギュラーとそうでない子の気持ちが分かるんです。練習の目的は何か、どの立場にいるのか、目的を達成するにはどうすればいいか。徹底的に噛み砕いて分かるまで繰り返し伝えます。監督を指導する時も基本同じ。じっくり話を聞いた上で今、リーダーとして何ができるか、何をやらなければいけないかを一番に考えるよう指導しますが、私からこうしろとは一切言いません。全体を見渡し、一歩引いた立場でサポートするように心掛けています。ただ、私も間違えますので、その時は素直に謝る。格好つけてもしょうがないですから(笑)。

Qソフトの魅力は

プレーボールで始まり、ゲームセットで終わる。ピンチもあればチャンスもあるけれど、仲間がいて応援してくれる人もいる。周りに助けられたり、自分が助けたり。各自がチームにどう貢献できるか考えながらやっていく。仲間と協力することや相手を思いやる大切さなど、生きる上で多くのことを教えてくれるソフトは、まさに人生そのもの。だから、面白いんです。

【日本代表と一緒に戦いたい】

Q東京五輪が1年後に迫りました

「いよいよだな」という気持ちです。アトランタから北京まで、日本女子ソフトを近くでずっと見てきました。代表監督や選手たちの心理状況を一番分かっているという自負があります。東京五輪まであと1年。麗華監督率いる日本代表と一緒に戦っていきたいですね。

Q日本代表チームに求めることは

ソフトは一球のジャッジで勝敗が決まることもある。何が起こるか分かりません。けれど言えることは、やってきたことが全て出る。だから、本番までに不安要素を徹底的に排除すること。チーム作り、選手のコンディション、組織編成、どれも妥協したら絶対駄目。そして、監督がこうと決めたらブレずに突っ走る。チームスポ―ツは全員の心を一つに掌握できるかどうかに尽きる。自国開催で物凄いプレッシャーがあると思うが、覚悟を持って臨んで欲しい。それは監督選手に限らず我々協会員やスタッフも同じ。皆が一つになることが大切です。

Q日本代表チームに伝えたいことは

恵まれた環境でプレーが出来るのは、支えてくれる企業や地域、協力してくれる多くの人がいるからこそ。感謝の気持ちと与えられた責任を今一度自覚してもらうため、どこかの時点で日本女子ソフトの原点や先輩が築いてきた歴史を話して聞かせたいと思っています。

【東京五輪は全員が主役】

Q人生のモットーは

「努力は裏切らない」。この歳になっても失敗するし壁にも突き当たる。まだまだ努力が足りません。勉強と一緒で、死ぬまで続けるしかない。シンドイけれど心身共に鍛えられるし、いつか自分に返ってくる。そして、努力は誰かがどこかで必ず見てくれています。これは経験上、絶対ですね。

Qこれからの夢は

自分の原点はソフト。辛いこともたくさんありましたが、常に前を向いて進んできました。人生にはいくつもの荒波があります。支えてくれる家族や友だちはいますが、最後は自分で引き受けなくてはいけません。今後は普及活動を通して、ソフトから得たことを子どもに伝えていきたい。最近、私がノックしても難しいボールには手を出さない子がいます。でも、大事なのは「一歩踏み出す勇気」。諦めない気持ちが自分を変える一歩になる。これは人生も一緒。そんなことを伝えていくのが自分の使命であり、最後の仕事かなと思っています。

Q宇津木さんにとって高崎とは

指導者人生スタートの地。日立高崎、ルネサス、ビックカメラとチーム名や母体企業は変わりましたが毎回、上司からリーダーとしての心得、組織人としての在り方を教えてもらいました。素晴らしい仲間とライバルである太陽誘電と切磋琢磨しながらチーム作りが出来たのは本当に幸せなこと。世界に挑戦できたのも地域の皆さんが応援してくれたからこそ。今の私を育ててくれた高崎には感謝の気持ちしかない。これからも、この地で日本ソフトの普及のために力を尽くしていきたいですね。

Q群馬のファンの皆さんにメッセージを

東京五輪はアスリートだけでなく、支援する人、見る人全員が主役だと思っています。特に日本女子ソフトは群馬の選手が多く、地元の皆さんの応援が欠かせません。私も応援団の一人として力いっぱいサポートしていきますので、皆さんも心を一つにして一緒に盛り上げていきましょう。

文・撮影 中島美江子

【プロフィール】Utsugi Taeko
53年埼玉生まれ。日本代表選手では内野手として活躍。現役引退後、86年に日立高崎の監督に就任。90年に日本リーグを制し、女性初の日本代表監督に。96年アトランタで代表コーチ、97年日本代表監督に就任し、2000年シドニー五輪で銀、04年アテネ五輪は銅メダルに導いた。その後、代表監督を退くが、08年北京五輪で悲願の金を獲得。その功績がたたえられ日本人初の指導者としてASF(国際ソフトボール連盟)殿堂入りを果たす。現在、日本ソフトボール協会副会長、世界野球ソフトボール連盟理事、ビックカメラシニアアドバイザー、東京国際大学女子ソフト部総監督、NPOソフトボール・ドリーム理事長などを務める。高崎在住

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