今月上旬の3連休に、高崎市の山あいにある三つの碑を訪れた人は、延べ2300人に上ったそうです。ユネスコの「世界の記憶」に登録された上野三碑。混雑を避け平日午前に訪れましたが、どこでも見学者の姿がありました。今春訪れた時と比べて大きな様変わりです。
「昔を語る 多胡の古碑」。県人は皆が知る上毛かるたの「む」札ですが、碑文の内容はさほど知られていなかったといいます。転勤族の私は今春、金井沢碑で「上野国群馬郡」の文字を見て、1300年前にすでに刻まれていた地名の深い歴史に思いを致しました。
太古の三碑には、女性の名も同等に記されていたり、書道のお手本だったりと、多面的な価値が認められます。でも個人的に感銘を受けるのは、三碑の存在が、地元住民で継がれてきたことです。多胡碑は「お羊様」とまつられ、敗戦後の混乱期には占領軍に奪われないようにと、地中に埋めて守られました。
富岡製糸場が世界遺産になったのも、かつて所有した片倉工業(東京)が、操業停止後も建物を譲渡賃貸せず、社員を置いて守ってきたから。三碑の登録も、最大の貢献者は古代からの市井の人々だと思います。
三碑は、群馬の豪族と中国や朝鮮半島から渡来した人々が共存し文化を共有したことも示します。同時に登録された、江戸時代の朝鮮通信使の記録は、日韓両国の団体が共同で申請したものでした。近隣国との深い交流の歴史を受け継ぎ、育てるのは、今の時代に生きる私たちの責任だとかみしめます。(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)