流魄(るはく)の俳人―松野自得展
松野自得(まつのじとく)は1890年(明治23)、邑楽郡館林町(現・館林市)に生まれ、後に移った荒砥村(現・前橋市)の最善寺を拠点に全国を巡る旅を続けながら、僧侶、日本画家、書家、文筆家、そして俳人として活躍しました。高浜虚子に師事し、「古趣創生」の理念を掲げた俳句雑誌『さいかち』を主宰。その句は明るく、童心や郷愁にあふれています。多芸多才でありながら、それを鼻に掛けることなく誰にも優しく人々から愛されました。本展では最善寺のご協力を得て、俳句のほかにも、洒脱な俳画から日本画、書、随筆と数々の作品を生み出し、1975年(昭和50)に85歳で亡くなるまで旺盛な創作活動を続けた自得の魅力を、約110点の資料を通して紹介します。
僧侶、画家、俳人、展覧会では3つの側面から自得の活躍を取り上げます。画家としては、広島県尾道市の耕三寺銀龍閣の天井に描き上げた圧巻の龍の画や軽やかで力みのない俳画など、題材によって画風を変化させ味わい深く多彩な作品を残しています。
一方、俳句では日常にあることを、易しい語句を使って、素朴に、時にはユーモアたっぷりに表現します。例えば、広島の小学校の「母の句碑」(65年建立)のために詠んだ「花の匂いは母のにおいよ甘えたし」という句があります。「花」といえば「桜」をさしますが、子どもたちが思う母の匂いのする花は、何の花なのでしょう。そんな想像力をかきたてる一句です。この句碑は71年に前橋大胡小にも建てられました。ほかにも「人の一生いつも木の芽のふくやうに」「御仏は大地におわす八重桜」など様々な句を詠みましたが、どれも目の前の
当たり前のことには素敵な部分がたくさんあるということを教えてくれているように思えます。
そして、仏教をモチーフにした作品も数多く残しており僧侶としても精力的に活動していたことが伝わってきます。様々な顔をもつ自得の作品世界は、シンプルでありながら奥深く、見る人の心をつかんで離さない魅力を放っています。
なお、館内に掲示されたお題で俳句を詠んでくださった方にはオリジナルグッズをプレゼントしております。自得になった気分で是非、とっておきの一句をお寄せ下さい。お待ちしております。