私らしく、楽しく
「『紫吹淳って何やるか分からない』と言われる女優でいたい。良い意味でファンを裏切り続けたいですね」
【「素」を出すのが楽しい】
「コンビニに行ったことがない」「家事はお手伝いさん任せ」「値札を見て買い物しない」‐浮世離れした発言とお嬢様キャラが受け、最近バラエティー番組に引っ張りだこ。「私をタレントと思っている人が意外に多い。この間もプロデューサーから『女優ですよね?』って念押しされちゃった。『私は女優です』とこの場を借りて強く言いたいです(笑)」
元宝塚歌劇団のトップスター。ダンスの名手として名を馳せた。2004年の退団後は女優として舞台やミュージカル、テレビドラマ、CM、コンサートなど幅広く活動。バラエティーに出演するようになったのは2年程前から。宝塚のイメージを壊すのが嫌で本当は出たくなかったという。「最初は自分をどう出したら良いか分からず苦労しました。でも、みなさんが面白がってくれて、今では自然に『素』が出せるようになり楽しいですね」
【バレリーナから宝塚へ】
3歩歩けば転んでしまうほど足が弱く、心配した両親の勧めで3歳からクラシックバレエを始めた。山本禮子バレエ団の故・山本禮子氏に師事。幼い頃からお洒落が好きで、ランドセルは使わず運動靴も履いたことがなかった。「皆と同じことをするのが好きじゃなかった。だから、イジメられたこともありましたね」
【将来の夢はバレリーナ。が、中学】
1年時に演じた白雪姫で王子役より背が高いことに気付き、夢を断念。ニョキニョキ伸びる身長を見たバレエの先生から、背が高くても問題ない宝塚受験を勧められバレエ少女から一転、タカラジェンヌの道に進むことに。「それまで観たこともなく、どんな世界なのか全く知りませんでした。でも、踊れるならいいかなと(笑)。こんな受験生いないですよね」
【オンリーワンを大切に】
86年、宝塚歌劇団に入団。「レビュー交響楽」で初舞台を踏む。170センチの長身でスタイル抜群。切れのあるダンスは早くから高い評価を得ていたが、本人は「何で歌ったりお芝居しなきゃいけないの」と半ば嫌々ながら稽古に励んでいたという。「浮いた存在でした。何度も辞めようと思いましたが、私が選ばれた裏には何人も落ちた人がいる。せっかく入ったのだから少しでも成長してから辞めようと決めました」
転機は入団7年目の92年。新人公演で初めて主役に抜擢、演じる喜びに開眼する。男役として着実にキャリアを積み、いつのまにかトップを狙える位置に。「可能性があるなら応援してくれたファンのため、自分のために頑張ろうという気になった。トップになれるのは実力はもちろん、運やタイミングが必要。私はすごく恵まれていたんです」
01年、月組のトップスターに就任。クールな二枚目から悪役、とびきり気障な役どころまで、アンビバレンツな魅力で観客をとりこにした。
あまり個性を強調しない宝塚にあって、自身は異色と振り返る。正統派スターが多い中、髪型やファッションは自分好みを通し、ワンオブゼムではなく常に「オンリーワン」を大切にしてきた。20年間の宝塚時代で得たものは「忍耐」と「品性」、そして多くのファンだ。トップスター就任時、オフィシャルファンクラブ数は2500人を超えた。「けがが3度、組の移動も3度。運も良かったけれど、その分試練も多かった。支えてくれるファンがいたからこそ乗り越えられたと思う。感謝の気持ちでいっぱいです」
【男役のキャリア武器に】
退団後は「女優宣言」し、女役もこなす役者に転身。宝塚卒業後、「男役」を封印してしまうタカラジェンヌも多いが、紫吹さんはそれを「武器」に男装の麗人などを積極的にこなし着実に役の幅を広げていった。 仕事をする上でのモットーは、「私らしく、楽しく」。「物事って悪く取ろうと思えばいくらでもそう取れる。でも、要は自分次第。だから、難しい仕事でもどうしたら面白くなるかを常に考えています」
男も女も演じられ、歌も踊りもできるエンターテイナーに転身し10年。舞台は勿論、バラエティー番組にも進出。11年に「タカラヅカ式ダイエット」を出版、12年にぐんま観光特使に就任するなど活躍の場は年を追うごとに広がっている。「『紫吹淳って何やるか分からない』と言われる女優でいたい。良い意味でファンを裏切り続けたいですね」
【自由な存在でありたい】
今夏、東京国際フォーラムで上演されるミュージカル「グッバイ・ガール」で主役を演じる。子持ちダンサーと売れない役者が恋におちるラブコメディーで、紫吹さんがふんするのは男運ゼロのシングルマザーだ。「やはり私の原点は舞台。全身全霊、心を込めて最高のパフォーマンスを届けられるよう頑張りたい」
バレエ少女が宝塚、芸能界という未知の世界に飛び込み来年で30年を迎える。「型にはめられるのは嫌。年齢にも性別にもとらわれない、自由な存在でありたい。これからも自分に限界を作らず、新しいことにどんどんチャレンジしていきますよ」
強くしなやかな感性と、裏打ちされた実力と実績で、「紫吹淳ブランド」を更に進化させていく。
文/中島美江子
写真/高山昌典