女子プロゴルファー 茂木 宏美さん

私がパパで、夫がママ

夫婦2人3脚で子育て奮闘中!
2004年の初ツアー優勝以来、通算6勝と活躍中のママさんプロゴルファー茂木宏美さん(38=みどり市出身)。結婚妊娠出産後も、夫と2人3脚で育児をしながらメジャー優勝を目指し奮闘中だ。プロとして、母として、妻としての思いを聞いた。

夫と娘の存在が原動力

Q02年にプロになり、04年の初ツアー以来、通算6勝。強さの秘訣は?

「ゴルフをする環境に恵まれていたからです。故郷の群馬、みどり市に育ててもらいました。後は、夫と娘の存在が大きい。夫のサポートと娘の笑顔が原動力になっています」

Qママさんゴルファーとして頑張っていますね

「実は、プロゴルファーとママの両立をできていないんです(笑)。家では私がパパで、夫がママ。夫が育児も家事もこなし、娘の母親役をやってくれています」

Q役割分担はうまくいっている

「結婚前、スノーボード選手だった夫は、故障して仕事を探していました。私の両親が『娘と結婚するなら、プロゴルファーの夢を2人3脚で追いかけてはどうか?』と4歳年下の彼に提案。結婚後、夫は世間一般の役割分担との違いに『これでいいのか』と葛藤したようですが、『家族を守ることが男の仕事』と覚悟を決めて以来、共に頑張っています」

成績を上げるのが私の使命

Q妊娠したのはいつ

「11年のヨネックスレディースでは夫婦一緒に優勝を成し遂げ、その達成感をきっかけに、『子どもが欲しいね』と話し始めました。コウノトリが新しい命を運んでくるのを待ち、結婚4年目に妊娠。14年、帝王切開で長女の和奏(わかな)を出産しました」

Q妊娠後も変わらずプレーしました

「妊娠で選手を辞めることは全く考えず、夫の協力でプロとしていかにプレーするかだけを考えました。妊娠後も6試合に出場。安定期の試合では、お腹の中で胎児が蹴るのです。『インパクトが狂ったら困る』という大事な場面では静かに、長いパターが入った時は『ヤッタネ!』とポコポコ蹴りが入る。体の中で新しい家族が応援してくれました」

Q産休はとれましたか

「『勝負の世界』に身を置くプロゴルファーは、毎年ふるいにかけられる。シード権のある選手しか産休を取得できません。妊娠7カ月目の13年10月の日本女子オープンを最後の試合で産休に入り、半年後に復帰。14年6月には所属先主催のアース・モンダミンカップに出場、72ホールを回りました。復帰時期は、状況を考慮し自らコントロールしました」

出産を機に心身共に成長

Qお手本のママさんプロは

「2人のお子さんを出産し、ママさんプレーヤーとして活躍した塩谷育代さん。試合出場を迷っていると『体調がよく、医師のOKが取れればかけがえのない経験となる』と背中を押してくれた。全英女子オープンでも、出産3カ月で出場していた英国人選手と赤ちゃんを見て、『自分もああなりたい』と思いました」

Q出産後、心身の変化は

「産後、腰のあたりに違和感があり、借り物の体みたいで最近まで苦戦していましたが、研修生の気持ちでスイング改造に励んでいます。妊娠、出産と激動の2年間、体だけでなく考え方も変化しました。例えば、親子で移動する機内では、周りの方に助けを借りられるようになった。自分もこんなふうに面倒見てもらった、1人では生きてこられなかったと、娘を通して気付かされ、自分を見つめ直す機会にもなりました。両親や周りの人に感謝で一杯です」

Qツアー中、お子さんはどのように

「ホテルの部屋では、娘が安全で自由に過ごせるよう夫が工夫してくれています。会場では、娘を抱っこしたくなるとプレーに支障が出てしまうので、娘と夫はクラブハウスにずっと詰めています(笑)」

Qお子さんの存在は?

「自分以上に大切な存在。でも、娘が親に窮屈さを感じ、振り回されて付属品になるようではいけないなと、過度に干渉、依存しないように気を付けています」

夢はママでメジャー優勝!

Q今後の夢は

「ママでメジャー優勝!1日でも早く叶えたい。産休後、再び戦える舞台に戻れ幸せです。思うようにいかない子育てに比べ、ゴルフは好きなことが自由にできる。『いってらっしゃい』という娘と夫がいてプレーできる。パパとして、おむつ代とご飯代をバリバリ稼ぎます」

Q群馬のファンにメッセージを

「現役にこだわり、ママさんプロとして突き進みます。これからも変化を恐れず進化していきたい。ゴルフ界にも、お世話になった地元にも恩返しできるようになりたいです」

文・谷 桂/撮影・中島美江子

茂木 宏美(もぎひろみ)
1977年4月25日生まれ。38歳。みどり市出身、桐生女子高校卒業後、02年25歳でプロテストに合格。04年に初優勝を飾る。通算6勝。アース製薬所属。10年に結婚、14年に女児出産。現在、現役プロとして活躍する一方、一児の母としても奮闘中。14年、みどり市観光大使に就任。

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