日本一小さな“格闘家”
プロレスは3カウント取られなければ負けない。自分の気持ちしだいで何度でも立ち上がれる
【念願の地元凱旋】
6月8日、高崎市のニューサンピアで行われたプロレス「WRESTLE-1(レッスルワン)」に、県内出身の女子高校生レスラー「ことり」(我闘雲舞[ガトームーブ]所属=15)がゲスト参戦、念願だった故郷のリングに立った。13年2月のプロデビュー後、地元での初試合。黄色とオレンジのコスチュームをまとって颯爽とリングに上がった、身長142センチ37キロの小柄な少女レスラーに、会場に詰めかけたプロレスファンから多くの紙テープが投げ込まれた。カラフルなテープが飛び交う光景を目の当たりにして、小さな目からは涙があふれた。「多くの紙テープを投げてもらって感激しました。応援してくれている人たちのためにもこれから頑張らなければいけないと思いました」。両手の甲で涙を拭うと、リング対角に立つ対戦相手をにらみつけた。それは女子レスラーとしての新たなスタートだった。
【柔道から転身】
1998年、県内生まれ。祖父、父、母ともに礼節を重んじる柔道一家の一人っ子。3歳から稽古場へ通う一方、父との二人三脚で年間365日鍛錬を積んだ。得意技は一本背負いや巴投げ。数々の大会で優勝を果たし小学5年には全国大会へ出場、ベスト16まで進出したという。中学でも柔道部に所属、中学2年時にも全国大会へ出場。40キロ級の小柄な体躯と、軽快な身のこなしから「群馬のやわらちゃん」として知られていった。
だが、もうひとつの顔があった。大のプロレスファンだったのだ。同じくプロレスマニアの父とともにプロレスの聖地・後楽園ホールをはじめ各地の会場へ足を運び、エンターテインメントとしての格闘技の魅力に取りつかれていく。そして中学2年の夏に、プロレスへの情熱を抑えきれなくなり、女子選手を中心として活動する団体・我闘雲舞の門を叩いた。「すべての動きが柔道とは違ったので、できるかな、という不安はもちろんありましたが練習生としてトレーニングをしていくうちにそれが楽しさに変わりました」。柔道は中3の夏大会を最後に引退、12年間続けた柔(やわら)の道に別れを告げることに迷いはなかった。
【小鳥のように羽ばたく】
プロレス界の門を叩いた少女に与えられたリングネームは「ことり」。小鳥のように羽ばたいてほしいという願いが込められているという。「柔道は一回投げられてしまったらそれで試合が決まってしまうけど、プロレスは何度投げられても3カウントを取られなければ負けではありません。だから自分の気持ちしだいで何度も立ち上がれる」。ことりは、柔道とプロレスの違いをこう表現する。毎週末、都内のプロレス道場へ通い、基本技術を学びながら技を磨いた。プロレス界で最も小柄な少女が体格で上回る相手と互角に戦うには、スピードで勝負するしかない。投げ技やフットワークに磨きをかけてレベルアップを図る。同団体のさくらえみ代表(レスラー兼任)は「受け身やスタミナなど柔道での経験がプロレスに活かされている。ただ柔道とは違いプロレスは体重別ではないので小柄な体で勝つ術を身につけていかなければいけない。彼女はみんなから応援してもらえる特別な力を持っているので、それを活かしてさらに成長してほしい」とエールを送る。
【プロレスにすべてを懸ける】
昨年2月デビューしたことりは、本拠地市ヶ谷会場などを中心に試合を重ね経験を積む。現在は県内の高校に通いながら休日に会場へかけつける“週末レスラー”として活躍している。だが甘い世界ではない。入門から約1年半が経過するがタッグマッチを含めて勝利はわずか。小さな体で奮闘はしているもののプロレスの世界で勝利をつかむことは簡単ではない。シングルで初勝利を飾ったのはデビューから1年以上が経過した今年4月。柔道で県内無敵だった少女はプロレス界で大きな壁にぶつかっている。「12年間続けてきた柔道を辞めたのはプロレスにすべてを懸けたかったから。プロレスを一生の仕事にしたいという夢があるので簡単にはあきらめない。自分で決めた道なので精一杯の努力をしていきます」。プロレスでは強さを追求する一方でファンを楽しませるエンターテインメント性も要求される。同団体では女子レスラーがリング上で曲を披露、握手会やサイン会を実施しファンサービスにも努める。ことりは、歌って踊れる女子レスラーを目指す。
【将来の夢はタイトルマッチ】
8日の地元凱旋試合では、シングルマッチでさくらえみ代表と対戦。健闘しながらも最後は先輩の技に屈して7分23秒に横回転エビ固めで3カウントを奪われた。「勝つことができませんでしたが、自分のプロレスができました。応援してくれるファンのためにも、将来はもっと強いレスラーになって後楽園ホールの大舞台でタイトル戦をしたい」。日本一小さな女子プロレスラーは、大きな夢を胸に今日もリングへと向かう。
文・写真/伊藤寿学