実名で語ること[5月25日号]

二十歳になったばかりの青年が、フラッシュを浴びながら謝罪し、頭を下げる。「真実を語ることが償いの一歩」と、大勢の記者たちの前で経緯を明らかにする。自分が言われたこと、言ったこと、その時の心情……。言葉を選びながら、とつとつと語りました。

悪質なタックルで問題となった日本大アメフト部の選手が開いた会見を見て、多くの人が胸を痛めたと思います。冷静であるべき代理人弁護士も、選手の両親の言葉を代読して涙ぐみました。

選手のおかした危険行為は、許されません。けれど、監督らは選手たちに絶対的な権力を持つ。その監督らの発したという言葉が示されるにつれ、選手の追い詰められる様子が目に浮かび、胸が苦しくなりました。

同様の共感が、質問する記者やネット世論でもうかがえました。これは、選手本人がカメラの前で、自分の口で語っているのが要因だと思います。「顔を出さない謝罪はない」「実名もいとわない」と覚悟が示されました。

実名で語ることの「強さ」は、同じ日に別の例でも示されました。女性職員へのセクハラ疑惑で追及されていた東京都狛江市の市長が、辞意を表明したのです。認めざるを得なかったのは、被害女性4人が実名を連ね、具体的な事例を挙げた抗議文を出したからでした。

「今までは沈黙してきたが、もう我慢できない」。覚悟し行動し、事態を動かした被害女性の勇気に敬意を表します。アメフト選手と同様に、彼女たちへの共感も広がりますように。そして選手の真摯な告白と謝罪が、報われますように。(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)

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