日本山岳協会長 八木原 圀明 さん

「今年は日本山岳協会にとっても私にとっても勝負の年です」 赤城山を背に笑顔を見せる八木原さん=前橋

「映画、五輪、山の日という追い風を味方に『登山界』に新風を巻き起こしたい」

世界最高峰エベレストの南西壁冬季世界初登攀を達成するなど世界屈指のヒマラヤ登山家として知られる。邦画初、標高5200メートルでの撮影が話題の「エヴェレスト 神々の山嶺」(公開中)で山岳監修を務めた。日本山岳協会長、群馬県山岳連盟会長、日本オリンピック委員会評議員として登山界の発展に力を注ぐ。山の魅力を伝える語り部に映画や山への思いを聞いた。

【ネパールは第二の故郷】

Q映画に関わる経緯を教えて下さい

作家の夢枕獏さんが原作「神々の山嶺」を構想している時、小説の舞台となるエベレスト南西壁を狙っていた私たちのベースキャンプを訪ねてきたのが始まり。その時、獏さんは私たちと焼きそばを食べ一晩泊まって帰っていきました。20年以上前の「小説すばる」連載時から映画化の話はあったので、「ようやくか」と思いました。作者もモデルの登山家も舞台になった山も全て知っていますから、感慨深いですね。

Q山岳監修の具体的な仕事内容は

13、14年の2回、平山秀幸監督とロケハンし、安全に登れるけれど臨場感があり山屋が見てもインチキだと感じさせないポイントを探しました。実際のネパールロケに参加したのは昨年2~3月の約1カ月。標高約5200㍍ですから富士山よりずっと高い。まず、俳優陣やスタッフの体を順応させるため10日間かけゆっくりゆっくり登っていきました。ただ、岡田准一さんも阿部寛さんも体を鍛えていたので全く問題ありませんでした。逆に私の肩が上がらなくなり、岡田さんにマッサージをしてもらったくらい(笑)。登山技術はもちろん、映画の登山計画にリアリティーを持たせるには何日位が良いか、どう撮ったらダイナミックな画面になるかなど、様々な角度からアドバイスしました。ネパールは50回近く行っているので第二の故郷。誰よりも知り尽くしているという自負があります。寝食を共にしながらの撮影は楽しかったですね。

Q今作の見どころは

手前味噌かもしれないが、エベレストを舞台にしたどの映画よりも迫力ある絵が撮れていて最後まで飽きさせない力強さがあると思う。山屋は阿部さんが演じた羽生のように、死ぬところまで行くか私みたいにその手前で降りて語り部として生きるか。どっちにしてもわがままで自分勝手(笑)。山の世界に入れば高い山、 難ルートとどんどん危ない方へ行く。レベルを下げるなんて考えられない。登山家の業みたいなものが良く描かれています。でも、それは山屋に限ったことではない。だからこそ、多くの人の心に響くものがあるのではないでしょうか。

【「山」中心の人生】

Q登山を始めたきっかけは

中学の頃から山岳部に入り、高校で岩登りを始めました。達成感や満足感が得られ、自分が何者かになったようでうれしかった訳です。すっかり夢中になりましたね。

Q登山家になろうと思ったのはいつ

高校卒業後、「一流のサラリーマンになる」と都内の会社に就職しましたが、大卒社員に全く適わない。半年で退社し大学に入り直すため、前橋に戻りました。ところが高校時代の先輩から山岳会に誘われちゃって。私の辞書に勉強という文字はなかった。登山家になろうと意識したことはありませんが結局、「山」中心の人生になりました。

Qヒマラヤに魅了されたのはなぜ

68年のネパール政府のヒマラヤ登山解禁を機に、県内の研究組織に入会しました。当時、世界中の登山団体が挑戦しようとしていたので負けてはいられない。71年、県山岳連盟の偵察隊として初めてヒマラヤの地を踏みました。日本の山と比べ圧倒的に大きさが違う。間近で見た時の衝撃は忘れられない。以来、一線を退くまで四半世紀、ヒマラヤヒマラヤと言い続けていましたね。

Qやめようと思ったことは

ヒマラヤやマッキンリーで山田昇など仲間を何人も亡くしたが山への思いは断ち切れなかった。「逝った連中の分までやってやろう」という気持ちもあった。「なぜ登るのか」と問われれば登りたいからとしか言いようがない。

QアンナプルナI峰冬季南壁登攀など、「世界初」の快挙を次々達成しましたが、印象に残っている登頂は

3度目のヒマラヤ挑戦となった78年ダウラギリI峰登頂。南東稜世界初登攀を収めたが4人が亡くなりました。未熟だった故の結果。一方、喜びが大きかったのは93年最後のエベレスト。冬季南西壁登攀に無事故で成功した時、「私はここまで」とやめる決意が出来ました。

【今年は勝負の年】

Q日本山岳協会長に就任しました

登山ブームですが会員は年々減少しています。若い世代を増やすには、各団体が活動しやすい環境整備と会員の意識改革が急務。体系的な技術が身に付くなど会員になるメリットを発信していくことも大切です。

Q日本オリンピック委員会評議員として20年東京五輪追加種目の有力候補

「スポーツクライミング」のPRにも力を入れていますね
日本山岳協会がスポーツクライミングをなぜ推進するのかという意見もあるが、岩登りから進化した競技。我々が支え発展させる責任があります。若返りを図る大きなチャンスなので、五輪を機に会の組織再編を加速させていきたい。

Q今年の抱負は

今夏、スポーツクライミングが五輪正式種目になるか決まります。さらに、今年から8月11日が国民の祝日「山の日」になるので各団体に故郷の山に登るイベントをするよう呼びかけています。群馬は谷川でエコツーリズムをするなど、山に親しんでもらうための様々なアプローチ法を提案していく。今年は会にとっても私にとっても勝負の年。映画、五輪、山の日という追い風を味方に『登山界』に新風を巻き起こしたい。

文・写真/中島美江子

【プロフィル】Kuniaki Yagihara
46年前橋生まれ。アンナプルナI峰南壁(87~88年)、エベレスト南西壁(93~94年)の冬季世界初登攀を達成、世界屈指のヒマラヤ登山家として知られる。日本山岳協会長、県山岳連盟会長、日本オリンピック委員会評議員、「パッケージ池畠」株式会社顧問。前橋在住。

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