ベトナムに蒔く希望の種
「ネガティブなだけではない、『希望の物語』であることを伝えたかった」
【枯葉剤被害の現実に迫る】
62年に出版されたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」。生態系を壊し人体をも蝕む化学物質や放射能の危険性を告発した同書は、半世紀たった今もなお色あせることなく読み継がれている。この著書名を冠した最新作「沈黙の春を生きて」では、ベトナム戦争時に散布された枯葉剤被害の実態に迫ると共にレイチェルの言葉に再び耳を傾けることの大切さを訴えている。「枯葉剤による環境と人間の破壊はまさにレイチェルが警告していたもの。50年前の行為が今の悲劇を生んでいるという現実や、今私たちが気付かずにしていることが50年後に大きな厄災をもたらすかもしれないということを訴えたくて、この題名を付けました」 同作品は明日18日から「シネマテークたかさき」で上映が始まり、初日午前11時と午後1時の回上映後には坂田監督による舞台挨拶も行われる。
【家族の絆に触れ癒された】
「聞いてください—脱原発への道しるべ」の著者で、35年前から脱原発を訴えていた故坂田静子さんの次女として生まれる。大学時代、ベトナム帰還兵だったグレッグ・デイビス氏と出会い結婚。フォト・ジャーナリストの夫の仕事を手伝う傍ら写真通信社に勤務し後に独立する。映像作家としてのキャリアを歩み始めたのは50代半ば。きっかけは夫の突然の死だった。原因として疑われたのが兵役中に浴びた枯葉剤。「喪失感をどうにかして埋めたい、枯葉剤について知りたい、何か行動に移したい、そんな中で思い付いたのがドキュメンタリー制作でした」
とはいえ、ビデオカメラを触ったこともない。仕事をしながらアメリカの映画学校のワークショップに参加し基礎を学ぶ。そして04年、夫の死の原因を探るべくベトナムへ向かう。枯葉剤被害に苦しむ人々や家族を取材、撮影し07年、「花はどこへいった」を完成させた。「カメラを通して、過酷な運命にあっても慈しみあう被害者家族の絆や温かさに触れ、私の心は癒されていきました。同時に夫の死という個人的な悲しみも、世界中で起きている出来事と無関係ではなく連綿と続く歴史の流れの中にあると思い知らされた」
ベトナムの被害実態と夫への追憶を織り交ぜた第1作は世界中で反響を呼び、毎日ドキュメンタリー賞やパリ国際環境映画祭特別賞など数々の賞を受賞。今も国内外で上映されており、19日には利根沼田文化会館で上映会が行われる。
【問題はまだ終わってない】
1作目を撮り終え夫の死や枯葉剤について一旦区切りを付けた坂田監督だったが、上映会や講演会を続けベトナムを再訪するうちに問題はまだ終わっていないと気付く。「アメリカ帰還兵の子や孫にまで被害が及んでいることを知り、枯葉剤問題をもっと広い文脈で捉える必要性を感じた。歴史的、政治的、社会的視点から続編を作ろうと考えたのです」
【生を繋げていくしかない】
10年6月、坂田監督は続編を撮るため渡米し枯葉剤被害者らにインタビューを行う。生まれつき手足の一部が欠けているヘザー、全身無毛症で子宮がないシャリティー、夫や娘を亡くしたシャロンとモナ—カメラを前に自らの境遇について、時に憤り時に涙しながら語る女性4人を収めた。「皆さんが淀みなく話すのに驚いた。今まで溜め込んでいたものが一気に噴出した感じ。2作目は彼女たちによって魂を与えられた」
更にベトナムを訪れ現地の被害者と交流するへザーさんの様子を追った同作品は、国境や時代を超えて広がる両国の枯葉剤被害だけでなく被害者同士の連携や問題解決に向けた新たな活動が生まれつつあることも映し出す。「『沈黙の春』は未だ終わっていないが、それでも私たちは生を繋げていくしかない。ネガティブなだけではない、『希望の物語』であることを伝えたかった」
現在、坂田監督は作品上映に加え、枯葉剤被害を受けたベトナムの子どもたちに奨学金を援助する「希望の種」活動を展開中。経済的理由で専門教育を受けられない40人の子供たちを支援するなど、ベトナムに希望の種を少しずつまいている。
【次回作のテーマは原発】
「化学物質は放射能と同じように不吉な物質で世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。いまのうちに化学薬品を規制しなければ大きな災害を引き起こすことになります」—東日本大震災直後に完成した「沈黙の春を生きて」の冒頭と終わりに流れるレイチェルの映像と言葉。原発事故に翻弄される今、放射能という3文字はとりわけ重く心に響く。「枯葉剤も原発も実は私たちの日々の生活とどこかで繋がっている。様々な問題が山積だが、目先の利益や経済発展という言葉に惑わされず一人一人がこれからどう生きていくか真剣に考えていかなければならない時期に来ているのでしょう。次は日本の原発問題を扱ったドキュメンタリーを撮るつもりです」
坂田監督は既に、福島で何度か原発取材を行っている。完成は未定だが前2作同様、多くの示唆を与えてくれに作品になるに違いない。
文:中島 美江子
写真:高山 昌典
〜坂田氏へ10の質問〜
カメラは出来るだけ持ち歩きたくない(笑)
—影響を受けた人は
夫と母親。私の今の在り方にすごく影響を与えてくれた。夫を54歳で亡くした時は本当にショックでしたが、彼の死がなければ映像作家としての自分はいなかったと思う。一方、反原発運動をしていた生前の母は何となくうっとうしい存在でしたが最近は何だか似てきている気がする(笑)。
—関心あることは
やはり原発です。どうしてこんなことになってしまったのか。まず知ることから始めたい。それを何らかの形にして他の人と問題を共有できれば良いなと思っています。
—好きな食べ物は
野菜。群馬は農産物直売所が多く、安くて新鮮な野菜が買えるので助かっています。冬は大根やニンジンなどをタップリ入れたポトフを良く食べます。
—好きな飲み物は
ワイン。冬は赤ですね。毎晩飲みます。(苦笑)
—群馬のお気に入り
お蕎麦。長野県出身ですが、私は群馬の方がおいしいと思う。それと谷川岳ですね。自宅近くから見える雄姿は本当に素晴らしい。利根川の流れも好きです。
—趣味は
料理。作るのも食べるのも好きですね。フランス料理のコッコヴァン(鶏肉の赤ワイン煮)が得意。ワインにも合う。お客さんが来ると良く作ります。
—リフレッシュ法は
ヨガやエアロビクス。週3回くらいジムに通い、汗を流します。特にヨガはリラックスしますね。
—愛用の機材は
ソニー3D対応ビデオカメラ「HDV—V1J」=写真=を、08年から使っています。商売道具ですが出来るだけ持ち歩きたくない。重いですから(笑)。
—映像作家になった実感
今もあまりないですが、新聞などに映像作家と記されていると「へ〜そうなんだ」と思います(苦笑)。
—休日の過ごし方
カメラを持って色んな人に会いに出掛けています。毎日が休日なので(笑)。