〈朝鮮人あまた殺され/その血百里の間に連なれり/われ怒りて視る、何の惨虐ぞ〉。前橋出身の詩人萩原朔太郎の作です。関東大震災(1923年)直後、官憲や民間人らが朝鮮人を虐殺した事件が群馬でもあったことを、この詩の存在に教えられました。
旧藤岡町の行政文書などによると、震災4日後、土木会社の依頼で朝鮮人労働者を保護していた藤岡署に、「自警団」の住民らが押しかけ、日本刀や竹槍で襲撃。翌日も別の朝鮮人を殺しました。計17人。犠牲者の名が、藤岡市の成道寺墓地にある慰霊碑に刻まれています。
関東一円での虐殺はデマ(流言)が発端でした。放火、暴動、井戸に毒薬……。震災当日から起こったことが警察資料でわかります。富士山爆発、囚人脱走、大地震再来、とも流れました。
昔のことだ、今は違うとは言えません。今月の北海道地震では「地鳴りがした。数時間後に地震がくる」「断水する」とデマが回り、行政などが否定に追われました。熊本地震では「ライオンが逃げた」と嘘のSNS投稿。消去後もクチコミで広まったといいます。
政府の中央防災会議がまとめた関東大震災の報告書は、虐殺の背景を日韓併合への抵抗運動への恐れや差別感情だと指摘します。再び、朔太郎から。「我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである」(「月に吠える」序文)。
(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)