古墳時代の群馬は、東国文化の中心地と言われます。県内で出土した埴輪の人気を競った今秋の「はにわんグランプリ」で、豊かな埴輪に驚いた人も多いはず。東日本最大の前方後円墳があり、石棺や石室の質が高くて副葬品も豪華。ヤマト王権と深い関わりがあったとみられます。
こうした説明ができるのは、研究の積み重ねがあるからです。県内では群馬大学名誉教授・尾崎喜左雄氏(1904~78年)の成果が知られます。戦後各地の遺跡を調査。300以上の古墳を発掘して後進を育成し、「群馬考古学の父」と称されます。
その尾崎氏が生まれる30年前から、英国人が古墳を研究していたことを、明治大学博物館(東京)で12月2日まで開催中の特別展で学びました。ウィリアム・ガウランド(1842~1922年)。「日本考古学の父」と呼ばれます。
明治政府に雇われ来日した造幣局の技師ですが、余暇を使って近畿中心に全国400の古墳を調査。精密な測量図や写真、出土品が残ります。論文集「日本古墳文化論」を読むと、前橋・大室古墳群や伊勢崎・お富士山古墳でも調査したことが分かります。横穴式石室や石棺、副葬品も比較検討し、群馬を含む上野・下野・武蔵一帯などとヤマト王権の関係を考察します。
彼が持ち帰り、大英博物館に収蔵された史料の一部が、今回里帰り展示されています。そのうち1点が群馬で出土したという須恵器。猪や鹿を型取った装飾付きの器を前に、時代を超え考古学に情熱を注いだ2人の「父」を思いました。
(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)