草と牛は一体のもの(Vol.192)

邦太郎の言葉を受け継ぎ、今も続くジャージー牛の搾乳牛放牧

神津牧場(下仁田町)ができたのは1887(明治20)年。江戸から明治に変わり、士農工商の時代が終わり、新しい時代の空気の中で人々が一斉に新たな試みを始めた時代です。

創業者、神津邦太郎も福沢諭吉の慶應義塾に学び、上海に旅して、西洋の知識や技術を目にしました。そして、日本農業に畜産を加え、日本人の体格をよくするという青雲の志を立てて牧場を作ったのです。時に22歳、まさに明治のベンチャービジネスです。

邦太郎は牧場を拓き、牛を飼い、乳を搾り、バターを作りました。上信国境の山の中で放牧によってバターを生産できることを実証して見せたのです。「草と牛は一体のもの」という言葉を残しています。

それから130年、邦太郎の志はどうなったでしょうか。人々の食事は大きく変わり、畜産物が食事にたくさん取り入れられるようになりました。日本人の体格も大きくなり、多くのスポーツ選手が世界で活躍するようになりました。食べ物は町にあふれ、望めばお取り寄せで、日本中から地方の珍しい食べ物が手に入る時代です。その一方、食べ残しや廃棄される食品が増加しています。

飽食とグルメの時代。邦太郎の思いはある面では達成されたようにも見えます。しかし、豊富な畜産物の生産を支えているのは外国からの飼料です。物の輸送には多くのエネルギーが使われ、温暖化ガスが放出されます。農地の少ない日本では外国のエサに頼らざるをえなかったのですが、今では耕作放棄地が増えています。

SDGs(持続的開発目標)が叫ばれる今、草を作って牛を飼う、邦太郎の「草と牛は一体のもの」という言葉は明日への言葉として輝き始めているようです。

 

神津牧場場長
須山 哲男さん

【略歴】1949年生まれ、東京農工大学を卒業後、農林水産省草地試験場、東北農業研究センターなどを経て、2013年から神津牧場の常務理事・場長を務める。

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