認知症の人になる[3月24日号]

気が付くと3階建てビルの屋上でした。それも塀の上。平均台のような細い幅の上に立ち、眼下は行き交う車。背後から「降りて」と声がする。振り向くと介護職らしい男女2人。「大丈夫、大丈夫」「はい、足を出して」。立ちすくむ私に、声ばかりが渦巻きます。
3月中旬に高崎で、群馬県介護福祉士会の研修に参加しました。バーチャル・リアリティー(VR)による認知症体験です。スマホ付きのゴーグル型器具とヘッドホンを装着すると、映像が目に入り、音声が流れます。右を向けばその方向の風景が見える仕掛け。映像がつくる物語の中に、自分が入り込みます。
冒頭の物語は、物体の位置や向きがわからなくなる障害を再現したものです。サービス付き高齢者住宅を首都圏で展開するシルバーウッド(本社・千葉県)の代表取締役、下河原忠道さんが、入居する認知症の方に聞いた話をもとにつくりました。送迎バスからなかなか降りられない。尋ねると「3階から突き落とされる」と訴えたそうです。
「僕たちは皆、風邪になった経験があるから、その辛さがわかる。認知症でもその体験を」と、ゲームなどで使われるVRを思いついたといいます。開発費は持ち出し。一般市民向けには無料で開き、計3千人以上の人に疑似体験を提供しました。
電車でふと気づくと、自分がどこにいるのか分からない。周りの乗客は無関心。助けて!と心の中で叫んでいるところに、「どうしましたか?」「何かお手伝いしますか?」と優しい声。このホッとした気持ちをVR体験する人がもっと増えれば、認知症の人たちも暮らしやすい社会になるのでは。そう感じます。(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)

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