フクシマを撮影 写真に温かいまなざし向ける
フォトジャーナリストとして活躍し、朝日フォトコンの顧問を務めた東京写真記者協会(東京・汐留)事務局長の渡辺幹夫さんが1月11日、死去した。64歳。葬儀は近親者のみで行った。
静岡県浜松市出身で、千葉大学工学部を卒業し、1982年に朝日新聞社に写真記者として入社。前橋支局に記者として配属され、その後、東京本社写真部を皮切りに、大阪など各本社で勤務。湾岸戦争、米大統領選挙、アトランタ五輪など世界を駆け回って取材をした。その後、東京本社写真部長、映像ディレクターなどを歴任。東京写真記者協会では報道写真展開催。2021年東京五輪の聖火リレーでは、ランナーの1人として高崎駅前を快走した。元全日本写真連盟理事長代理。日本大学芸術学部写真学科でも教鞭を執った。
渡辺さんが、「生涯忘れられないものとなった」と語った11年の東日本大震災。東京電力福島第一原発事故で汚染された一帯や避難指示区域を取材。現場からジャーナリストとして、写真家として「忘れてはいけない現実」を報じた。浪江町や双葉町などの変化した写真を、17年3月、銀座のギャラリー・アートグラフで写真展「フクシマ無窮」として発表。以降、「フクシマ」はライフワークとなる。
朝日フォトコンには、11年から審査員、19年からは顧問として関わった。18年2月の講評講演会では、「伝える、伝わる写真とは 報道の現場から」と題して福島で取材した写真を展示。常に現場の「いま」を訴えた。一方で、受賞者と作品には、温かいまなざしを向けて講評し、「車はネッツ高崎、新聞は朝日」と笑いながら締めくくる恒例のあいさつには、満場の拍手が寄せられた。謹んでご冥福をお祈りします。 (谷 桂)