“竜”にまつわる群馬の伝説スポット

令和6年辰年 気運上昇 昇竜の年

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2024年、令和6年が始まりました。今年の干支は「辰(たつ)」で、動物にあてはめると「竜」。県内各地にも“竜”にまつわる興味深い伝説が多く存在します。玉村と高崎、伊勢崎に伝わる話やその地を紹介します。       (谷桂・上原道子)

玉村
町名の由来は「竜の玉」

龍の玉が納められているとされる箱。満福寺に代々伝わる。中にあるもう一つ箱を開けると失明するといわれる。箱の一般公開はしていない

玉村町は、古くから伝わる「竜の玉伝説」が町名の由来だという。

天慶年間(938~47)、錦野(今の玉村地域)に住む若者と恋におちた娘が、ある土豪の企みで平将門に差し出されそうになった。川のほとりで追いつめられた娘は身を投げ、恋人も後を追った。その後、村人が夜な夜な川に漂う青く光る二つの玉を見て、「娘は竜人の化身、玉は竜人のあごにあるといわれる玉の精」と考え、二つを拾い上げてほこらを立て、「近戸大明神」(今は無い)として祭った。それから約500年後、利根川の大洪水の際に竜神が現れ同大明神に竜巻を起こし、二つ玉のうちの一つを持ち帰ってしまう。村人が貞治年間(1362~68)に一寺(現在の「玉龍山 満福寺」)を建て、残る一つを箱に納めてまつったことから、竜の玉のあるこの地を「玉村」と呼ぶようになったという。

満福寺の河村妙照住職は「玉が納められているとされる漆塗りの二重の箱箱が代々伝わっています。二番目の箱を開けると失明するという言い伝えがあるため、開けたことはありません」と語る。

同町歴史資料館に展示されている、伝説の原話とされる資料「玉村之故実」には「玉村の親村は南玉村なり。これは近戸の玉有るゆえなり」とあり、玉の存在が地名の由来になったことが記されている。

玉村町のマンホールカード。背景にあるのは、道の駅玉村宿に設置された鉄蓋。中央に竜の玉がデザインされている。平日は町の水道庁舎、土日祝日は同道の駅でカードを配布中
「町名由来の伝説がある寺」と書かれた同寺の御朱印
竜が彫られている満福寺本堂の欄間

■満福寺(0270-65-2256)/玉村町福島1251
■同町歴史資料館(0270-30-6180)/玉村町福島325/入館無料/開館:午前10~午後4時/休館日:1~3月は月・火・水曜と祝日。1月8日は臨時休館

高崎
榛名湖で竜になった木部姫伝説

御沼おかみ神社の石碑と社殿

榛名湖(高崎市榛名湖町)にいくつか存在する竜神伝説。諸説あるが「姫が榛名湖に入水し、竜になった」という話がある。「上野三碑かるた」(高崎市文化財保護課内・上野三碑普及推進会議2021)の「り」札は、なんと「龍になり榛名湖守る木部の姫」と書かれている。かるたの解説によると、高崎市木部町にあった木部城主・木部範虎の妻は、箕輪城主・長野業政の娘。それが「木部姫」だ。姫は武田信玄の西上州進出による戦乱を避けて榛名山に避難したものの、箕輪城陥落を悲しんで榛名湖に身を投げ、竜神になったというのが伝説になっている。一緒に入水した腰元は、カニになって仕えているのだという。

実際に、榛名湖を訪れると、榛名富士を望むボート乗り場の隣りに、木部神社の名で親しまれている「御沼おかみ神社」がある。「おかみ」という文字は、雨冠に口を3つ書き、その下に「龍」の字がある。神社は、水をつかさどる竜神を祭っていて、社殿の隣には、この湖に身を投げた木部姫と腰元の久屋の供養塔がある。青い水をたたえる湖を眺めながら、姫が竜になって空に昇っていく伝説に浸るのも楽しい。

㊧上野三碑かるた「り」絵札。江戸時代、榛名神社への雨乞い信仰が関東で広まる中で、この伝説の存在により、木部地区が重視された ㊨かるたの読み札は、高経大附高書道部が清書

■御沼おかみ神社 高崎市榛名湖町木部神社バス停前

伊勢崎
海なし県に竜宮城や浦島太郎伝説あり

「龍神宮」境内にある浦島太郎像と唱歌が書かれた看板

伊勢崎市宮子町の前橋館林線の「竜宮」交差点を北に折れた「うぬき親水公園」近くにある「竜宮橋」。そのたもとに「竜宮の森」という小高い岩山があり「龍神宮」が祭られている。地下に深い淵があり、水底は「竜宮城につながっている」という摩訶不思議な伝説がいくつかある。

伊勢崎市文化財保護課が有する書籍「群馬伝説集成5 伊勢崎・佐波の伝説」(金子緯一郎著、あかぎ出版)によると「宮子の人、阿感坊が1547年に竜宮に行き、3年後に無事に戻ってきた不思議な話」の言い伝えがある。

竜宮で阿感坊は「決して誰にも竜宮の話をしてはいけません。もし、話したらすぐにあなたの命は絶えます」と竜女から言われた。それなのに、殿様は阿感坊を城に呼び寄せ、無理やり竜宮の話をさせた。「光が五色に輝いて、花が咲き、美女が食事の接待をする1日が1年間という竜宮城での3日間の出来事」を仕方なく語り、さらに、殿様に宝も差し出した。だがその直後、阿感坊は亡くなってしまったのだという。

群馬在住のフリーライター小暮淳さんの著書「ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台」(ちいきしんぶん)によると「阿感坊こそ浦島太郎のモデルになった人物」と関係者から取材。地元団体が建立した「龍神宮」の境内には、ウミガメにまたがった「浦島太郎」の像や「昔、昔、浦島は、助けた亀に連れられて竜宮城へ来てみれば」の唱歌看板も設置。境内では不思議な世界観に迷い込みそうだ。「竜宮」の地名にもなっている竜宮城や浦島太郎の伝説には、海なし県民がロマンを感じる要素が十分にある。

地域の人々が建立した「龍神宮」
竜宮橋や竜宮という地名にもロマンを感じる

■龍神宮 伊勢崎市宮子町2999

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