家で人間らしく死ぬことはできる

萬田診療所院長 緩和ケア医
萬田 緑平さん

ジャズが流れ、アロマの香りがする診療所で笑顔を見せる萬田院長。医療保険、介護保険による診療をする。

在宅緩和ケア医として、日夜、看取りに関わっている前橋市総社町の「萬田診療所」院長、萬田緑平さん(58)。「終末期の患者さんは自宅に帰って過ごした方が人間らしく生きられる」と患者さんと家族にケアをしている。がん患者さんの在宅ケアや抗がん剤治療について、人生の最後をどう考えたらいいかなどをインタビューした。

自宅の方が人間らしく
―どのような診療所ですか?
がん患者を専門にした在宅緩和ケアを行っています。患者さんは、抗がん剤治療をやめた人や入院したくない人、自宅にいたい人などです。診療方針は、患者さんの意志を最優先すること。患者さんの心と身体が最期まで弱ることなく、また、自宅で自分らしく生きられるようなサポートをしています。

普通の診療所の医師は1日100人くらい診ますが、ここは午前中の外来診療と午後の訪問診療でそれぞれ2、3人。予約制で1人の患者さんに1時間かけます。1人あたり週に数回から月1回、僕が診療にあたり、他の日は訪問看護師が支えます。患者さんは常時20人ほど。高価な医療機器は使いません。

病院勤務の頃は、手術や抗がん剤治療だけでなく、胃ろう造設を一手に引き受けていましたが、振り返ると患者さんを苦しめていただけだったかもしれない。もちろん、患者さんが入院治療を続けたいならお手伝いしますが、病院医療と在宅緩和ケアを両方見てきた立場として、終末期の患者さんは、病院での延命治療ではなく、自宅の方が最後まで人間らしく生きられると思っています。

―家で死ぬとは、どのようなことですか?
ほとんどの人は病院で亡くなりますが、他に「家に帰る」選択肢があります。本当は、9割が家に帰りたいんだと僕は思っています。半分ぐらいの人が「迷惑かけるわけにはいかない」と我慢をする。もう半分の人は、「帰りたいという」。そのうち、ご家族が「いいよ」と言ってくれるのは、5㌫ぐらい。その中から依頼が来るのです。そういった「幸せな」人が最後まで自宅で生きるのを手伝うニッチな仕事です。

終末がんと付き合う
―がん患者さんにどのように診療していますか?
普通の人は、1年に1歳老いていきますが、がん患者さんは、トットットッと早いペースで弱っていく。例えば60歳でがんになったら、61、62歳としばらくは段階を追って年を重ねますが、最後の方は、1週間で10歳、20歳と体が弱り、1カ月間で一挙にドドドと100歳になっていくイメージ。それに対して、患者さん本人も家族も、変化に付いていけない。知っている僕から見ると予定通りですが、「急に、いきなり」と言う。「急になった」のではなく、それが「普通」なのです。

それに、「がんを治せば、死なない」のではなく、がんがあってもなくても、必ず一日一日と歳を取っていき、体がポンコツになって死を迎える。そこに「最後まで付き添うから大丈夫だよ」と言いながら、不安な本人とご家族が自宅で生きる手助けをしています。

―抗がん剤治療の辛さは?
一般には「抗がん剤で腫瘍が小さくなる可能性があれば」と夢を描いてやっている。開始した時は家族が応援してくれるから、心の状態が良い。普段帰って来ない息子や夫がつき合ってくれたり。でもある時点で体が辛く、無理だと分かる。「治療やめたい、家に帰りたい」と言っても、家族が許さない。どんなに頑張っても「もっと頑張れ!」と言われるだけ。独りぼっちにされたら困るから、「頑張る」と言うが辛くなる。そのうち、本人は家族に裏切られたと思いながら、意識が無くなって亡くなる。その時の心の状態は、苦しくてどん底です。

僕の患者さんには「辛くない」だけではなく、「幸せないい人生だった」と言ってもらいたい。それには患者さんの「心の状態を上げること」です。例えば、ご家族が、「ありがとうね。大好きだよ」といっぱい言ってあげる。「いい人生だった」と言って亡くなって行く人は辛そうじゃないんです。

人生の最後を成功に
―長生きをどう考えたら良いのですか?
長生きしたくても、老化の予防なんてできない。例えば、外に置いてあるホースが汚れてきて、硬くなりひび割れて、漏れたり破裂したり、必ず劣化する。人間も同じ。歳を取ればポンコツになっていくだけ。そこに「病名」をつけて治療しているだけです。

どんなに健康にいいことをしても、寿命は伸ばせない。寿命は、生まれ持って決まっているものです。縮めることはできるけれど、伸ばすことはできない。死に方を考えていれば、「こんなはずではなかった」と言わなくて済みます。

―他にどのような相談がありますか?
患者さんから、「抗がん剤をやめたい」と相談が来ることがあります。抗がん剤を使用すると体は弱ります。さらに、がんが悪さをするので、急速に歳を取って死んでしまう。

でも、抗がん剤はやめても、亡くなる前の日まで、医療用麻薬を使うことにより、ゴルフや旅行に行けた患者さんがいます。

また、ある方は抗がん剤をやめたいと相談してきた。反対する旦那さんや中学生の息子とも僕が一人ずつ話をして抗がん剤をやめることを許してもらいました。歩くことをすごく頑張って、ある日、「もう歩けない。先生来て」との連絡を受け、訪問すると旦那さんが「妻は幸せでした」と言う。息子さんは泣いていて、患者である母親にヨシヨシされている。ご家族の間でしっかり「ありがとう、さよなら」を言えてると思いました。翌日の訪問時、彼女は自力で歩いてトイレに行き、その2時間後に亡くなりました。頑張って最後まで歩けたことが重要。僕の患者はこれを目指しています。

―看取りの瞬間はどのようですか?
普通の病院だと危なくなってくるとモニターを付けますが、僕は死の瞬間にはいません。ご家族が「息を引き取る」のを確認する。その後、電話が掛かって来ます。

ある時、看取りに行ったら息子と奥さんが迎えてくれた。亡くなってすぐでしたが、二人はにこにこしながら訪問看護師と話している。泣き笑いですけどね。「昨日は、家族皆がアルバムを広げたりして、お父さんと話した」と。悲しいだけの看取りというのはほとんどない。

僕のところでは常時、こういう「面白いドラマ」が20本進行中なのです。「面白いドラマ」とは、不謹慎ですか? でも、楽しくないと僕だってつまらない。亡くなった時に「先生、ありがとうね」と言われるのが楽しいわけです。

僕は仕事人間じゃなくて、遊び人間。休みの日には、妻と一緒に自転車で軽井沢や秩父までランチしに行ったり、仲間とボランティアしたり、面白いことをする。亡くなっていく人ばかりを診ていて、「人間はいつ死ぬか分からない」と知っている。死にそうになってからではなく、生きている元気なうちに楽しむ。食べられるうちに食べて、遊べるうちに遊ぶ。人生は「楽しい」が大事です。 (文・写真 谷 桂)

著書「穏やかな死に医療はいらない」(河出書房新社)
同「家で死のう!」(三五館シンシャ・フォレスト出版)
筆者に「心の状態を上げることが大切」と説明するときに使った萬田のメモ

まんだ・りょくへい/1964年東京生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として勤務する中、手術や抗がん剤治療、胃ろう造設などを行う中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年「緩和ケア診療所・いっぽ」(高崎市)に勤務。17年には「緩和ケア 萬田診療所」を開設。在宅緩和ケア医として2000人の看取りに関わる。診療以外に「最後まで目一杯生きる」と題した講演活動を県内外で年間50回以上行う。NHK番組「あさイチ」やラジオ番組などメディア出演も多数。
ホームページ: http://www.kanwamanda.com/

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