「上毛かるた」でおなじみ、館林出身の作家・田山花袋ですが、今から110年前に太田を訪れ、その様子を小説『百日紅』(さるすべり)(1912年10月「太陽」)で描きました。明治大正期の太田は新田義貞をキラーコンテンツとした一大観光地で、花袋は大光院の縁日を楽しんだようです。
実は太田の歴史の中で、これまで明治大正期の様子を伝えるものがあまりなかったとのことで、今回私が中心となって太田市の皆さん(太田高校金山同窓会の方が多数)と一緒に古い写真などの史料を集め、花袋の小説によって当時の町の様子を再現する展示会が企画されました。
館林の田山花袋記念文学館からも資料提供を受け、去年の秋に私の監修で企画展「田山花袋が太田の町を歩く」が太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設で開催され、12月にはギャラリートークもしました。研究の成果は3月発行の同文学館研究紀要にまとめる予定です。
また、私が顧問をつとめる太田高校文芸部の諸君と作品を読み、ギャラリートークと同時開催で「俺の花袋、ぐっときたフレーズ」発表会をしました。彼らは「時空を超えて花袋と語り合うようだ」と話しました。
企画展はご好評をいただき、期間中に5千人以上の来場者がありました。多くの方に花袋を知っていただきとても嬉しく思います。現在、引き続き同じ内容で太田市立中央図書館において展示しています(今月15日まで)。ぜひご覧になり、花袋と一緒に昔の太田の町を歩いてみてください。