農業カメラマン網野文絵のKnow Life
中澤文雄さん(安中)
今回は安中市で、花や野菜の苗だけでなく、芝生の苗までオールマイティに栽培する農家、中澤文雄さん(67)をご紹介します。多品目の苗を作るのは、難しい技術が必要ですが、そこに巡り合うまでのお話です。
中澤さんは、養蚕と酪農を営む農家に生まれましたが、時代は変化。子供だった1960年頃、1175万人いた農業従事者は、二十歳になる75年頃には489万人へと急減(農林水産省調べ)。高度成長期に農家は、子供に跡を継がせずに会社勤めを願う時代でした。
一緒に育った兄弟はサラリーマンになりましたが、中澤さんは「農家として好きなことを実現したい!」と就農を決心しました。
さあ、中澤さんは農業の旅を始めます。まず、農業学校の酪農研修で北海道へ。しかし、牛が育つ広大な大地と、地元の土地面積を比べて酪農は諦めました。卒業後は園芸試験場へ。そこで、植物の試験をしながら、「自分はお客様へ植物を届けたい」との思いが徐々に固まりました。
当時は、シクラメンの鉢花の生産が農家の花形。ご縁があって、国内有数の農家さんの下で勉強し、群馬でシクラメン農家を始めたのです。ところが何度作っても上手くいかず、恩師との技術の差に愕然としたといいます。
自分にはそもそも花栽培が向いていないのかもしれない…。迷ったある日、「なぜ1つの花にこだわっているのだろう」と疑問を感じます。考え込んだ末に出てきた答えは「部屋に花を飾る人は、外でも花を楽しみたいだろう」ということ。そう信じて中澤さんは一度、「鉢もの」の生産を全て手放し、ビオラなど「花壇苗」をメインに生産する農家に生まれ変わりました。
当時は変わり者と言われることもありましたが、90年 に国際的な花と緑の博覧会「花博」が行われて、一気に花苗生産者が活気づきました。中澤さんも同志の農家さんと共に、全国有数の花苗の生産者の先駆けとなり、地位を築いたのです。
いつしか花苗の栽培に加えて、野菜苗、そして今では芝生の苗と広がりました。1つの花を作り続け、トップになることも素晴らしいですが、「固定観念を打ち破り、疑問を大事にしたことで時代を先読みできた」と中澤さんは、振り返ります。多種多様な植物に合わせた栽培スキルが必要ですが、見えない努力によってまるで「魔法使い」のように色々な植物を操れるのは中澤さんにしかできない仕事だとお話を伺って実感しました。