「生誕140年 竹久夢二のすべて」
「宵待草(よいまちぐさ)」や「夢二式の女」で知られる竹久夢二は、絵だけでなく詩、デザインなどさまざまな仕事でも知られます。しかしみずからの作品を「絵の形式で詩を書いてみた」「自画像」と語り、画家でも詩人でもデザイナーでもなく、竹久夢二その人になり切る自由で困難な旅を続けました。
この展覧会では2024年の生誕140年、没後90年を記念して、夢二と交友した河村幸次郎旧蔵で、京都嵐山にある、福田美術館所蔵「旧河村コレクション」から211点を12年ぶりにまとめて公開し、ジャンルや技法にとらわれない夢二の生活、芸術、そして自由のゆくえを全3章で辿ります。
また、最晩年、終の棲家と定めつつ見果てぬ夢に終わった榛名山を描く代表作《旅》など、榛名ゆかりの作品もご紹介します。211点中、約160点が印刷、版画ではなく筆やペン、鉛筆で夢二が実際に描いた肉筆画。夢二の肉筆画をまとめてご覧いただける貴重な機会です。
折々の恋人を描いた「夢二式の女」も見どころですが、おすすめは最晩年の風景画。特に欧米への旅から榛名へ戻った理想の自画像を描く《旅》や、晩年の後ろ姿の自画像を重ねて見たくなる《榛名湖》、高崎市の烏川河畔で描いた油彩の写生画《浅間山》など地元ゆかりの作品は、ファン必見です。
50歳を目前に亡くなった夢二は、44歳から46歳にかけての最晩年、群馬県、特に伊香保、榛名をたびたび訪れ、榛名湖畔の借地にアトリエを建て、友人を呼び寄せて芸術家村を夢み、自然を手本に美術と工芸を結び生活を彩る「榛名山美術研究所」を構想します。当時、群馬の人々も「『日本の夢二』は『われらの夢二』となります。」と大歓迎しました。
47歳から見聞と資金を求めて念願の渡米欧を果たしますが、「旅立つことは死をまたぐこと」でした。帰国後病に臥せ、榛名に帰ることはできませんでした。一周忌、ついに戻らない夢二にかわり、藤島武二、有島生馬ら友人により榛名湖畔に夢二の自筆歌碑「さだめなく鳥やゆくらむ青山の青のさびしさかぎりなければ」が建てられ、今も静かに湖を望んでいます。
■高崎市美術館
■高崎市八島町110-27
■027・324・6125■来年1月14日まで■午前10時~午後6時(金曜日のみ午後8時まで)■月曜日、および祝日の翌日(1月8日開館し翌9日休館)、12月28~1月4日休館■一般600円、大高生300円(中学生以下、65歳以上無料)■12月24日午前11時から、同市南公民館で学芸員による講演会