わが家の窓から遠くを眺めると、赤くなぞられた田んぼの畦が見える。 今年も彼岸花の咲く季節が巡ってきた。
曼殊沙華とも言われるこの鮮やかな花が、この時期、家の周りの田舎道を燃えるような赤色に染める。子供の頃は、家に持ち帰ると火事になるという迷信に、間違っても摘んではならぬと、近づくことすら恐れていたが、今は、秋の訪れを告げるようにきまって現れる姿に、今年もまた咲いたと安堵するような気持ちになる。
よく晴れた彼岸の入り、家族で墓参りに出かけた先にも彼岸花が咲いていた。墓前に花と線香を供え、手を合わせる。昔は、知らない名前ばかりと思っていた墓誌に、今では懐かしい人の名前が刻まれるようになってしまった。此岸(この世)と彼岸(あの世)が近づくというお彼岸。たいした宗教観があるわけでもないが、幻想的な彼岸花が、生と死で分けられた世界をつなぐ、何か目印のようにも思える。
次に彼岸花が咲く頃には、世の中も落ち着き、子どもたちが普段通りの生活を送れているといいなと思う。お墓に眠る先人たちが生きた時代も、突然日常が絶たれることはいくらもあったはず。風に揺れる花が、あの世からの励ましにも見える気がした。
(塩原亜希子)