農業カメラマン網野文絵のKnow Life
冨沢俊郎さん、たつさん(中之条町)
今回は農業歴60年のお二人、中之条町でゴボウを作っている冨沢俊郎さん(81)、たつさん(81)の就農のお話です。私が二人と出会ったのは、昨年ゴボウの花を撮影するために、畑を探し回っていたときです。たくさんのゴボウ農家さんに出会いましたが、花を撮れる畑はなかなかありませんでした。なぜならゴボウは花が咲く前に根っこを収穫するからです。花を見るためには、春に種を蒔いてその年の秋冬に収穫せず、翌年の夏まで畑に置かなければいけないからです。突拍子もない提案に俊郎さんは驚いた様子でしたが、面倒な顔をせず、頼み事を受け入れてくださって、無事に撮影ができました。そして、何度も伺う中で、私を娘のように迎え入れ農業の昔話を聞かせてくれました。
60年以上農業を行う大ベテランの俊郎さんは、父親が始めた農業を引き継いだのがはじまりでした。明治生まれの父親は「大日本帝国陸軍」の中隊長副官を務め、金鵄勲章をもらうほどの軍人さんでした。そのため長男の俊郎さんなど4人の子供たちは非常に厳しく育てられましたが、優しく接してくれることもあったとか。人間味のある父親を子供たちは尊敬していました。戦争から帰ってきた父親は、養蚕と米麦栽培を始めます。俊郎さんは農作業を手伝ううちに、農業の魅力に気づき、天職だと感じたそうです。24歳でたつさんと結婚し、二人三脚で農業に取り組みます。始めは安定していたものの、時代に翻弄され、次第に養蚕が低迷。作物をコンニャクやウドに切り替え、農閑期には土木作業の手伝いをするなど、時代の変化に対応しながら、農業という軸はブレずに突き進みました。俊郎さんには、地区の農業委員に就任してほしいと依頼も来たそうです。農地の転用や転売の際に現地調査をして、排水や日当たりの確認をする大役です。「頼まれたことは引き受けなさい」という父親の言葉を胸に、農業委員や農協理事を合計12年間務めるなど中之条地域の農業に貢献しました。
このように農業のことを真剣に話す俊郎さんの隣には、目を細めて話を聞くたつさんがいます。いつも寄り添う人がいたから俊郎さんも頑張ってこれたのでしょう。
年齢を重ねても現在も元気な二人は、丁寧に育てたゴボウや干し芋を直売所で売ることを楽しみにしています。寒い日があっても、大変なことがあっても生涯をかけて農業に取り組む姿勢は、俊郎さんが語った父親のまっすぐな姿と重なりました。