占いで就農?赤城山麓で蜜を集める養蜂家 (vol.3)

農業カメラマン網野文絵のKnow Life 

 

赤城山麓で蜂蜜を採集する高橋さん

みなさん、赤城の恵というブランドをご存知でしょうか?前橋で生産された農林水産物や加工品の中で、前橋市の厳しい審査で選ばれた逸品に与えられています。ロゴは赤城山を模したAKAGIというローマ字。地産地消や食への安心安全を伝えるアイコンとして、現在は50を超える生鮮食品や加工品が認定されています。今回は、赤城山麓アカシア蜂蜜が認定されている「赤城山麓養蜂場」の高橋健一さんのお話です。

今から11年前の58歳の時に、全く違う業種から養蜂家になる決意をしたという意外なストーリーがありました。

健一さんのお父様の仕事は大工でしたが、副業で養蜂も行っていました。高いところが大の苦手な健一さんは、後継ぎから逃げるように18歳で家を飛び出しました。

健一さんが外構工事の仕事に就いた後、父親は若くして亡くなってしまいます。その後、実家に戻り、大工ではなくエクステリアの会社を作りました。長年、経営をしましたが、健一さんは職人気質な性格。従業員の雇用維持の難しさを悩み続けていたようです。

そんな時、ふと養蜂をしている父親の姿が浮かびました「おれも歳をとったな」と父親と自分が重なったといいます。会社を閉める踏ん切りは中々つきませんでしたが、2010年に、偶然テレビで埼玉県熊谷市のある占い師を見ました。健一さんは「これだ!」と思い、人気があってなかなかつながらない電話を何百回もして、なんとか予約をとりました。

いよいよ占い師に会った時、悩みを聞く前に突然放った言葉は、「あなたが養蜂をすれば、亡き父親は喜びます」と。健一さん夫婦は迷うことなく養蜂家の道を歩み始めたのです。とはいえ、養蜂のノウハウを親から引き継いではいないため、大きな養蜂場に通って、道具や飼育方法の指導を受けてからスタート。がむしゃらに働く二人を見ていた息子さんが昨年から就農し、力仕事の蜜絞りを担い、今まで手の届かなかったオンライン販売や経理面も担当して、うまく回り始めたようです。

大きな転換を「占い」で決断する。自分の意思は固まっているのに一歩踏み出せない時、周りの一言が大きな後押しになったのでしょう。あとは自分を信じて続けるのみ。健一さんは、「今後も赤城の麓の蜜を集め、みなさんに届けたい」という強い思いを語ってくれました。

巣箱の正面に絶対に行かないこと!」一番最初に言われた言葉が今でも心に残っています ⓒ網野文絵

あみのふみえ

前橋市の農業関連会社に勤務する傍ら、週末農業カメラマンとして活動。もともと大のトマト嫌いだったが、農家さんや畑に触れてトマトを食べたいと感じた。新たな視点で野菜をみることの楽しさ・不思議さ追求している。

 

掲載内容のコピーはできません。