6世紀当時の輝き 今も
当館近くにある観音塚古墳は6世紀末から7世紀初めの頃に築かれた全長105mの前方後円墳で、後円部に巨石を用いた国内でも屈指の大きさの横穴式石室を有することから「群馬の石舞台古墳」とも呼ばれています。この石室からは約30種300点の貴重な副葬品が発見されていますが、その中でも一際目を引くものに銅鋺があります。
銅鋺とは青銅製の鋺形の容器のことで、観音塚古墳からは4個出土しています。その内の2個は鋺に台が付き、宝珠形のつまみを持つ蓋と台付の受け皿を伴うたいへん豪華なものです。銅鋺はいずれも鋳型に青銅を流し込んで大まかな形を作り、それをロクロで回転させながら工具で薄く削って仕上げた優品です。また、ロクロを挽く時に工具で線を刻み装飾を加えるなど精巧な作りをしています。いずれの銅鋺も今では表面の多くが緑色の錆で覆われていますが、本来は銅鋺全体が黄金色の光を放っていたと思われます。台付の銅鋺の1つは鋺の内側の保存状態が極めて良く、今も当時の輝きを垣間見ることができます。
銅鋺は中国や朝鮮半島にそのルーツが求められ、日本では古墳の副葬品として6世紀前半から一部見られます。しかし、数や種類が圧倒的に多くなるのは6世紀末から7世紀前半にかけてで、銅鋺を出土する古墳が東日本、特に関東地方に多く見られるのも特徴の1つです。
銅鋺の用途は寺院で行われる供養などに使われた仏具と考える説が有力でしたが、近年では中央や地方の有力者が使用した豪華な食器とする説も出されています。ひょっとすると観音塚古墳の被葬者は、最新の饗応作法を身に着けた国際色豊かな人物であったかもしれません。