あかがね街道を運ばれた足尾の銅、江戸へ、世界へ
江戸時代に「あかがね街道」と呼ばれた銅の道がありました。栃木県の足尾銅山から産出・精錬した銅を江戸へ運ぶため、足尾から利根川の河岸(現伊勢崎市境平塚)までを結ぶ道として1649(慶安2)年に整備されたのが「あかがね街道」です。
街道筋の、銅を継ぎ送りする銅問屋には、銅を一時的に保管する銅蔵が置かれていました。当初、沢入(みどり市)・花輪(同)・大間々・平塚の4カ所に銅蔵が設けられていましたが、寛文年間になると大間々と平塚の間にある大原(太田市)にも銅蔵が置かれました。その後、ルートの変更などにより、銅蔵の場所は平塚から亀岡(同)へ、さらには大間々から桐原へと移りました。5つあった銅蔵のうち、今でも花輪・桐原・亀岡の3つは残っており、当時を偲ぶことができます。
写真は、みどり市の桐原銅蔵から発見された御用銅です。御用銅とは、江戸幕府の用に供された銅のことで、幕府の財政を支えました。この御用銅が発見された銅蔵は、下が土間になっており、荷崩れしたものが埋もれてしまっていたのでしょう。小さな塊ですが、手のひらにのせると予想以上に重さを感じます。桐原銅蔵には、ほかにも銅輸送に用いた継ぎ送り札や古文書など貴重な資料が残されており、その一部は当館で常設展示しています。
足尾銅山から馬の背にのせられ「あかがね街道」を運ばれた銅は、江戸城の銅瓦として利用されたほか、長崎を経由してオランダへ輸出されたと言われています。この小さな銅の塊が世界と繋がっていた、そう考えると何だか不思議な感じがしませんか。
■きてみて■
みどり市大間々博物館(愛称 コノドント館)/みどり市大間々町大間々1030/℡0277-73-4123/午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)/一般200円・小中学生50円/月曜休館(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館)/4月10日まで第99回企画展「なつかしの昭和30年代」を開催中