町民が守った沼田のシンボル
今回は「天空の城下町真田の里・沼田」から、真田時代から残る文化財を紹介します。
1634(寛永11)年に沼田藩主2代真田信吉(1593~1634)が、家臣や領民の清い心と領主の権威が長く続くことを願って城の鐘を造りました。楼(高い建物)を城郭の三の丸に建て、昼と夕に鐘を12回鳴らして時間を知らせたといわれています。1681(天和元)年に5代信利が改易となったため城が壊されると、鐘も埋められてしまうところでしたが、功徳山平等寺(西原新町)の覚遵によって守られ、寺の梵鐘になりました。
その後、1898(明治31)年頃に沼田町の時鐘となりました。太平洋戦争では、寺社の鐘はすべて国へ供出することになりましたが、「この鐘は、沼田城の鐘として由緒ある歴史が刻まれているので残したい。」と町民たちが全力で守った歴史があります。
そして、1954(昭和29)年に群馬県の重要文化財に指定されました。64(昭和39)年に、市庁舎建設に伴って鐘楼が取り壊されると一時保管されましたが、83(昭和58)年に沼田城本丸跡(現沼田公園)の一角に鐘楼が再建され、鐘は沼田市中央公民館に展示されました。
現在は、昨年5月に当館が新規開館したのと同時にシンボルとして常設展示しており、館内で間近に観ることができます。鐘には、真田の領内や沼田城の安泰を祈る信吉の詩が刻まれています。実際にご覧いただき、真田時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか。