近世館林の社会や「里沼」ありありと
館林は、徳川四天王の一人・榊原康政をはじめとする7家17代の居城とその城下町として栄え、その町割りや寺院・道など、近世館林の様相を現在でも色濃く残しています。
今回紹介する『封内経界図誌』(ほうないけいかいずし)は、館林藩の最後の城主・秋元家が、領地内の地勢を把握する目的で2年の歳月をかけて編纂し、安政2(1855)年に完成させたもので、「秋元文庫」資料として館林に伝えられてきました。
表紙に桐板を使った折本形式で、城付領地52ヶ村(邑楽郡43ヶ村、山田郡2ヶ村、新田郡1ヶ村、勢多郡6ヶ村)の状況が、村ごとに絵図と文章で記されています。
絵図には方位が入り、家・道路・堀・沼・川・田畑・山林などに色分けされています。また、村の概況には、石高・田畑面積・年貢・家屋数・人口・社寺数・馬数などのほか、出水時の役割や城の堀ざらい、土塁の草刈りなど各村の義務も明示されているのが特徴です。
邑楽・館林地方がほぼ網羅されており、江戸時代末の村々の様子や組織など社会構成を知る上で貴重な資料であることから、県の重要文化財に指定されました。また、令和元年度に文化庁に認定された日本遺産「里沼」の構成文化財の一つにもなっています。
村々を覗くと、多くが川や水田、沼を示す青色で塗られ、現在に繋がる館林の特色「里沼」の端緒に気付かされます。「里沼」を身近に感じられるだけでなく、当時の町並みや街道、台地に広がる畑や、河川の氾濫とも共生し創りだした田園風景までもが、ありありと目に浮かぶようです。