「古墳大国・群馬」研究の礎を築いた調査員の証
1919(大正8)年、今の文化財保護法の基となった「史蹟名勝天然紀念物保存法(※)」が施行されました。それに伴い群馬県は1921(大正10)年に19人の史蹟名勝天然記念物調査委員を任命しました。その中の1人に相川考古館の創始者である相川之賀(1866~1950)がいました。今回紹介する資料は、之賀の所持していた「史蹟名勝天然記念物調査吏員証」です。
文化財保護法が施行されるまでの31年間、群馬県では53件が史蹟名勝天然記念物に指定されました。その中には現在でも文化財保護法の下、国の指定を受けているものもあります。彼らの調査によって群馬が古墳大国であったことが明らかになっていきました。調査委員の活躍によって残された史蹟は、今なお歴史の証人となっています。
相川考古館は江戸時代の町役人の居宅を活用し、之賀の収集した考古資料を中心に展示する博物館です。長女徹子は「公共に役立てよ」との父親の意思に従い、1950(昭和25)年、「相川郷土館」を開設し、後に「相川考古館」と改称しました。弾琴男子像や武装男子像など国指定重要文化財の埴輪4点や茶室觴華庵(県指定重文)が見どころです。また、母屋(1837年築)や屋敷稲荷(1882年築)などが現存し、当時の雰囲気を残しております。
今秋、開館70年を迎えるにあたり記念展「相川之賀と群馬県史蹟名勝天然記念物調査会」を企画しました。之賀の功績や人となりに触れていただけたら幸いです。