原動力は強い意志と情熱
国や地域、民族が違っても、自分の人生を自分で決められる世の中になるような活動を広げていきたいですね
【特殊な職業ではない】
DDR、平和構築‐聞きなれない言葉だが、これらの仕事に携わる。紛争後の地域で元兵士から武器を回収し、職業訓練などを行い社会復帰を促す活動をDDRという。20代はDDRに従事、現在は日本紛争予防センター(JCCP)理事長として、被害者や現地の人が平和に暮らせるよう様々な自立支援に励む。例えば、衛生環境の悪いスラムでは対立する民族同士が一緒に出来る清掃活動を展開し、警察権力への不信感が強い地域では警察と住民の双方に関係改善のための研修を開催。対立がある場合は、共通の利益を見つけ課題解決に向けた共同事業を行う。
「紛争地には目の前で家族を殺された子供、性的暴行を受けた女性、将来に絶望する若者など、様々な人が暮らす。彼らが精神的・経済的に自立するため、心のケアができる人材育成にも力を入れています」
活動拠点はケニアやソマリアなど東アフリカ。来年からはシリア難民支援にも乗り出す。一見、特殊な職業だが、そうではないという。「企業は消費者のニーズに対し製品やサービスを提供するが、私たちも紛争地の人たちの要望を聞き必要な支援を行っています。一般企業とやっていることはあまり変わりません」
【人生決めた1枚の写真】
外国とは縁もゆかりもない家庭で育つ。人生を決定付けたのは高校3年の春、新聞で見た1枚の写真だった。ルワンダ難民キャンプで、瀕死の母親を泣きながら起こしている子供の姿に大きな衝撃を受ける。国家の思惑に翻弄される人々と、先行きの見えない社会に不安を抱いていた自身が重なった。「同情より共感を覚えた。国は違っても世の中の仕組みはそう変わらないのではないかと。なぜ、こんなことが起きるのか、その答えを知りたくて紛争や平和に関わる仕事をしようと決めました」 大学で紛争解決学を学びながらNGOで実践経験を積む。卒業後、世界各国の紛争地が仕事場になった。
【自分しか出来ないことに挑む】
ルワンダでは戦災未亡人の職業訓練に携わり、9・11米同時多発テロ後のアフガニスタンでは外務省職員としてDDRを担当。日本大使と共にカルザイ元大統領に提言したり軍の司令官と交渉しながら、軍を解体し平和構築に尽力した。その後、国連勤務を経てJCCP事務局長に就く。NGO、外務省、国連と、自らの専門を軸に働く場を変えてきた。大きな組織で肩書きを得ても、そこに留まることはない。「自分がいなくても活動がスムーズに進むなと感じる瞬間が来る。すると、次のオファーが舞い込んでくるんです」
過去のキャリアに捕らわれず、常に「自分しかできないこと」に挑み続けスキルの幅や活躍の場を広げていった。その原動力は、「社会の問題点を知り解決策を探りたい」という強い意思と情熱だ。
【自立の芽を摘まない】
支援の際に心掛けているのは現地の価値観を否定しない、そして自立の芽を摘まないことだ。「援助慣れさせないように、出来ることは自分たちでしてもらう。住人が問題解決の担い手にならないと、長期的な平和は築けません。初めは険悪になることも。でも、徐々に意識や行動が変わり前向きになっていきますね」
現地の人を主体とする支援は、想定外の成果や次世代にも良い影響をもたらしている。例えば、ケニアのスラムではカウンセラー教育を受けた若者たちが、地域問題を解決する組織を自発的に立ち上げるまでに成長した。彼らの活躍は子供たちに大きな希望を与えている。
仕事上の信念は、「やらない言い訳はしない」 どの任務も大変だが避けていたら何も解決しないからだ。「最初から100%は求めない。問題を細分化し出来ることを少しずつ増やしていく。すると、不可能だと思っていたことが数年後、何割か出来るようになっている。その過程で新たな可能性も見えてきます」
【選択肢が持てる社会を】
昨夏、JCCPの理事長就任と同時に関連会社を設立。アフリカなど途上国進出を検討する日本企業へのコンサルティングを始めた。持続的な経済発展を促し、企業と現地が共栄していく社会構築が狙いだ。「紛争地の問題は年々複雑化し、多分野の人たちが関わらないと解決できない時代になっている。でも、そのコーディネートを担う機関がない。ならば自ら作ろうと思ったのです」
現地と企業の橋渡し的な役割を担う一方、JCCPの顔として国内外で活動内容を積極的に発信する。多くの人が支援に関われるよう、書き損じハガキ寄付キャンペーンも実施中だ。郷里での仕事も増え、明日20日には前橋で紛争地における芸術の役割について話す。
活躍は多方面に渡るが、仕事上の信念は揺るがない。「キーワードは『選択肢』。その数が多いほど、その場所は平和だと言えるでしょう。国や地域、民族が違っても、自分の人生を自分で決められる世の中になるような活動を広げていきたいですね」
若きリーダーは、誰もが生きる選択肢を持てる平和な世界を夢見て、更なる高みに挑み続けていく。
文/中島美江子
写真/高山昌典