鎮魂の山 [日本航空のジャンボ機が上野村の山中に墜落して520人が犠牲になった事故から…]

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日本航空のジャンボ機が上野村の山中に墜落して520人が犠牲になった事故から12日で36年。御巣鷹の尾根へ慰霊登山に向かったのは、いずれもマスク姿の50家族143人でした。昨年に続き、コロナ禍で入山を断念せざるを得なかった方も多いようです。

数々の墓標の前で、大切な人に思いをはせて手を合わせる人、子や孫に思いをつなげようとする人……。亡くなった人たちは36年前の事故当時の年齢のまま、高齢化するご遺族の訪問を静かに迎えているように見えました。一方、一家全員が犠牲になり、あるいは遺族が他界した方も大勢いるのだろうと思うと、こみ上げるものを抑えられません。

事故当時は中学3年生でした。新聞紙面に刻まれた犠牲者一人ひとりのお名前や年齢、経歴に目を凝らしては、幼い命も数多く奪われた理不尽さに衝撃を受けました。

「墓標の前で涙を流す。そして前を向ける」。遺族でつくる「8・12連絡会」事務局長で、次男の健君(当時9)を亡くした美谷島邦子さん(74)は「御巣鷹はたくさんの涙を受け止めて優しい山になった。これからも命を伝えていく場所であってほしい」と願います。

「慰霊の園」にともされた520本のろうそくの火を見つめ、上野村のみなさんがこの36年間、静かに寄り添って歩んできたことに思いを致しました。また、事故を伝えようと尾根に集う朝日新聞を含む記者の多くは事故後に生まれた世代です。忘れないこと、次世代につなぐこと――。私も気持ちを新たにしました。

(朝日新聞社前橋総局長 本田 直人)

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