一歩一歩に込めた思い [8月12日は、群馬県の記者にとって、特別な響きを持つ日だ…]

8月12日は、群馬県の記者にとって、特別な響きを持つ日だ。1985年のこの日、524人が乗った日本航空のジャンボ機が上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員520人が亡くなった。当時9歳だった私も、テレビで流れる映像を不安な気持ちで見ていたのを覚えている。被害者の中には、自分と同じくらいの年齢の子どもが多く、しばらくはお盆のたびに事故を思い出していた。

前橋総局の記者たちは毎年8月12日、御巣鷹の尾根に向かい、慰霊登山をする遺族たちの取材を重ねてきた。今年は総局の川村さくら記者をはじめ、さいたま総局の若手記者たちも事前に上野村に入り、村の人たちの37年を追った連載記事「あの夏の上野村」を8月上旬に群馬版で掲載。8月12日も遺族とともに尾根を登った。

登山口から尾根に建つ「昇魂之碑」までの道は整備はされているが、やはり険しい。花束をリュックに入れ、ゆっくりと一歩一歩をかみ締めるように静かに登っていく高齢の夫婦。小さな子どもや赤ちゃんを背負って、3世代で慰霊登山をする遺族も目立った。事故から37年。「事故を次の世代に伝えたい」との思いで登る遺族の気持ちを知った。

今年の取材班の記者たちも、事故後に生まれた世代がほとんどだ。遺族の歩みに合わせて寄り添うように話を聞き、墓標の前で静かに手を合わせる。これからの御巣鷹を伝えていく記者たちのそんな後ろ姿が、なんだか頼もしく感じた一日だった。

8月11日夜には、上野村の神流川に犠牲者を追悼する灯籠にあかりがともされた

(朝日新聞社前橋総局長 宮嶋 加菜子)

掲載内容のコピーはできません。