待たなくてよい社会になった。待つことができない社会になった――。
朝日新聞朝刊1面で「折々のことば」を執筆されている哲学者・鷲田清一さんの著書「『待つ』ということ」の冒頭の一言だ。出版されたのは2006年だが、今の世界や日本の社会状況を見るにつけ、この言葉はより深くより現実味をもって響くようになっていると感じる。
そんな暮らしの中で、最近私は「待つ」楽しみを知ってしまった。待てば待つだけ楽しみが膨らみ、2日後、2週間後を心待ちにする……。そんな楽しみを教えてくれているのは「発酵白菜」作りだ。特別難しいことをするわけではない。白菜を切って、塩をまぶし、容器に入れてあとは待つだけ。冬だと10日もすると乳酸発酵が進み、酸っぱい匂いが漂い始める。「旨みの塊」とも言われる発酵白菜の完成だ。そのまま食べてもおいしいが、鍋やスープの具にしたり、炒めたりすると、調味料を入れてないのに料理に深みがぐんと出て、ワンランク上の味が家で楽しめる。そういえば、実家の野沢菜漬けも時間を置けばおくほど酸味と旨みが増していた。今更ながら「待つ時間」の大切さを五感で感じる冬だ。
待ち遠しくて、まちかまえ、待ちかねて、待ちくたびれて、待ちきれなくて、待ちぼうけ、待てど暮らせど……。久しぶりに鷲田さんの著書をめくりながら、待つという感覚をどこか懐かしい気持ちを持って思い出す。そして、先週新しく仕込んだ発酵白菜の熟成を、静かに待っている。
(朝日新聞社前橋総局長 宮嶋 加菜子)